既に評価の定まった 昔の人物像について 好き嫌いを表明するのは比較的簡単なことと思われる。 社会現象となっている 当時の 流行の髪型や化粧法については 人によって 評価が 別れるのも また仕方のないことであろう。 そこで 芸術家の 審美眼が試されると感じた。
保守おばさん。
女性の在り方についての見方は、時代の流れが関係するように見えて、変わらないことに気づかされました。
知能を持たない自動人形は何を思考するのだろうか。
筆者の女性の美に対するこだわりは、つまりはその人にあった美があるはずということである。それは乞食であろうとも必ずあり、それを見つけて描き出すのが芸術だとも思うし、また市居の人々も、流行った化粧を皆が皆しても意味がなく、その人にあった化粧こそ美しいのであって、というような主張がなされている。ここまで外見のことばかり言っているが、最後に理想の女性として架空の人物を持ち出したりしているから、たんに外面のことを言いたいのではなくて、その女性がその女性らしい美しさを表せる世の中こそ筆者の望んでいるものと言うことなのだろう。 全体的に、上品な口振りなのにわりと毒を吐くという人柄が出る面白い文章。
人にはそれぞれ見方があるものだと思います。女性に対してですが。美人に対しても自ずと好みが出ます。ひたすらその作家は自分の好みを述べてるだけ。面白くもなんともない。なんの哲学もない。バカげてます。