「骨仏」の感想
骨仏
こつぼとけ
初出:「小説と読物」1948(昭和23)年2月号

久生十蘭

分量:約6
書き出し:床《とこ》ずれがひどくなって寝がえりもできない。梶井はあおのけに寝たまま、半蔀《はじとみ》の上の山深い五寸ばかりの空の色を横眼で眺めていると、伊良がいつものように、「きょうはどうです」と見舞いにきた。疎開先で看とるものもなく死にかけているのをあわれに思うかして、このごろは午後か夜か、かならず一度はやってくる。いきなり蒲団の裾をまくって足の浮腫《むくみ》をしらべ、首をかしげながらなにかぶつぶついって...
更新日: 2022/08/11
2762415ce5eeさんの感想

うっひぃ〜wwwww

更新日: 2021/08/02
阿波のケンさん36さんの感想

磁器の白には26もの色階があるらしい。又人骨を混ぜるといい白色が出るらしい。

更新日: 2018/12/06
b25b0bd2dcfbさんの感想

病床の語り手、陶芸家の友人 磁器の白さのために必要なのは人の骨 機銃掃射で死んだという彼の妻は大層肌の白い…… 十重二十重に狂気が織り込まれているが趣は淡白であっさりとしている 個人的にこういう短篇はとても好み

更新日: 2016/10/20
かばの ばかさんの感想

じわじわと、死を待つような眼で相手から見つめられるのは気持ちのよいものではない。しかもそこに少なからぬ復讐心が込められているのであればなおさらだ。 我が妻を焼いた窯でお前も焼いてやるのだから本望だろうと言わぬばかりの伊良の態度に、梶井は凍りつくような思いをしている。しかし、死後の骨の算段まで仄めかされてしまっては、その恐ろしさにも諦念が入り交じる。磁器にされるも仕方あるまい、という心境だ。 伊良は伊良で、いま自らの芸術を極めることと、梶井への復讐を達することが、どちらも叶いそうだという期待に酔いながらも、どこか戸惑いも感じている。 叶いすぎることへの戦きが、酔いを乱す。

更新日: 2016/09/02
くろわっさんの感想

自分の芸術を極めるために「地獄変」の絵師のような人間の使い方は如何なものかと思いますが、 こんなふうに生きているうちに快い了承が得られるのならば、人を使った芸術というのも興味深いものに思えました   ホラーのお話しなのかも知れないけれど、二人は戦争のいつ死ぬか分からない状況で伊良さんは、「俺が看取ってやるからな安心しろよ」っていう意味で冗談でお皿の話しをもちだしてる…   っていう話しだと、勝手な解釈を致しました きっと最後の「酔った酔った」は伊良さんの照れ隠しなんじゃないかと… いろいろなとらえかたができそうなお話しです 10頁のくらいの短いお話し