光太郎は 智恵子と共に狂ったように 感じてしまう。 芸術的な昇華として 文章を 紡ぎだす才能が 並々ならぬものなので 自ら 着地点を見出だすことで 完結させたのには 感嘆する。
以前に読んでから何回か読み直しては思うのです。 作者は心も身体も成長した大人の女性と共に過ごしていたら上手くいかなかったのではと…一方的に世話をし愛しいと思うことは他方では、そういう気性の方だったのかもしれないと。
ただ一人の女性への思いを綴り続けた傑作。私のお気に入りは一番最初の「人に」である。 そのままでも充分楽しめるが高村夫妻の遍歴を少し知っておくとより楽しめる。高村夫妻は明治44年に出会い大正3年に結婚した。そして智恵子夫人が亡くなったのは昭和13年の2月である。文庫本だと草野心平から見た高村光太郎も一緒に収録されているのでオススメする。第三者視点から高村夫妻を描いた数少ない文章である。
緩やかな愛 激しい愛 どこにも行けない閉塞感 それでもいいと望んだ2人の叙情詩 さよならなんて言わないよ。だってまた会えるのだもの。 そう言った彼女はたしかに今も生き続けている。どこかで、目には見えなくても私の傍で。 私が天に召された時は、その時はまた穏やかに貧しく暮らしていこう
どうすればここまで人を愛せるのだろうか。 光太郎が智恵子に盲目的な愛を注ぎ、その愛に応え、そして純粋ゆえにその愛を受け止めきれず、子供に還った智恵子。 確かに美しい愛のなのかもしれないけど、端からみたら、とても歪な愛の形なのかもしれない。 でも、当事者同士が充足した愛を感じていたのなら、それが正解なんだろうな。 智恵子の一番の愛の形は、亡くなって魂を光太郎と一体化させて、二度と離れなくなること、なんだとおもう。
後半の文章しか読みたくなかった。
最初の詩の部分は好きでなく読みにくかった。しかし、後半になると智恵子の様子が細かく描写されていて、二人の苦悩や喜ぶ様子がよく分かった。やはり素晴らしい作品である。
高村光太郎の智恵子抄は、高村光太郎の愛おしい妻智恵子に対する思い愛情を結婚前から結婚生活そして死後のそれを書き綴った愛文、ラブレターと言える。これは若き多感であつき世代の人が読めばその味わいを、中高年の人が読めばその自分の人生と照らし合わせて妻への愛情を思い返させ、老後は付き添って来た妻への思いを更に思わせる。どの世代の男性が読んでも、身につまらせる所がある。平易で分かりやすい現代口語で、自由自在に書き綴られており、何度も読みたくなる。愛おしい妻への限りない愛情詩と言える。
詩の意味が解らない箇所も多々あったが、壮大なラブレターであることは充分理解できた。
素敵過ぎて言葉がないの
泣いた。