双之川喜1941 悲惨な 記憶で あっても 当たり前の ことながら 相続するわけでは ない。災害後 記念碑を 建てた としても 次の 震災で 無残に 折れて しまうことは 珍しくも ない。やはり 災害に 備え 不断の 教育を 受け させる ことが 最重要と 感じた。
タイトルに引かれて読んだ。 東日本大震災の津波の惨状の記憶は、まだ自分の中に生々しく残っている、 この文章で寺田寅彦は、「にもかかわらず」忘れっぽい人間は教訓をいかしきれない、と嘆いている。 教訓をいかすためには、人間の寿命を何倍にも伸ばすか、災害が襲ってくる周期をせばめるしかない、いずれにしても、「時間の縮尺の問題だ」と皮肉混じりに語っている。 まあ、結局のところ、忘れっぽい人間をギョシがたし、と嘆いているのだが、本当にそうかと、この文章を訝しく読んだ。 それは、先日読んだ佐藤愛子のインタビュー記事を思い出したからだ。 佐藤愛子は言う。 歳をとると、何をするのも面倒くさくなる、原稿を書くなど、面倒くさいうちの最たるものだ。 口述筆記でもなければ、この歳で本を出すなんて、あり得ない、原稿用紙に向かって、元々ないアイディアを脂汗をしぼって生み出すために苦しむなんて、考えただけでもゾッとする、と話していた。 そして、こう付け加えていた。 歳をとると、何をするのも、すぐに疲れやすくなって、だんだんすべてが面倒くさくなる、 細かいことは、もう、どうでもいい、しずかに横になって、終日寝ていたいことが多くなってきた。 横たわり、静かに目を閉じ、深く息を吸い、ゆっくりと吐きながら、つくづくこう思う。 「ああ、いい気持ち」と。 かつて、自分を悩ませていた細々とした記憶もすっかり薄れ、真っ白い気持ちのまま、こうやって、少しずつ意識が遠ざかって、そのうちに自分の息が遂に途切れてしまうことが「死」というものなら、死ぬことなんか少しも恐ろしいことじゃないな、と語っていた。 忘れっぽいことが人間の罪なのか、認知症が退治しなければならない程の業病なのか、 明晰な意識のままに、取り返しのつかない過去の過ちにさいなまれ、最新医療を駆使した先端技術によって、自分の意志とは関係なく肉体的苦痛を維持継続されながら生かされることに、救いはあるのだろうか、寺田寅彦の文章を読みながら考えた。
多少 民度が あがったとしても 寅彦の懸念は いまだに 通用すると思う。 忘却の記録というか ないがしろの 経緯は 永く 心に刻み込む必要があることは 万人の 一致するところであろうと感じた。
寺田先生が晩年このような精緻な文章で渾身の力で著された。我々日本人に贈られた国民必読の書。
備えあれば、憂い無し。全くその通りではあるが、日々の生活の中で実践するのは、簡単なことではないだろう。 表面の優先順位ばかりに囚われず、本質を考える習慣を付ける事が大切な気がします。
この文章が、東日本大震災の前から、中学校くらいの教科書などに載せられていたら・・と思った。しかし、そう思うのも、大きな震災の記憶が新しい今だけの「現象」なのかな。
今は2016年だからこの作品は今から83年前の警告である。そして5年ほど前にその警告通りに大津波が三陸海岸を襲い大勢の人命が失われた。この繰り返される歴史はどうしょうもないことのないように思われる。