雙喜 哲学は 学問の 学問と 言われていると 聞く。私としては 学が ないので 上部構造としての 哲学的思考の 高みに たどり着く 訳がない。平たくいえば 土台がないのに 屋根造りに 腐心するのと あまり 変わらない。高尾山からの 眺望を 富士山からの 展望に 近づけるような 果てしない 精進に 励むしかないと 愚考するのである。03:03
哲学的精神を体感すること 哲学概論は入門書ではない
「概論」という言葉に惑わされるな!!!とはもっともな言葉である。同じことを私は「入門」という言葉で経験している。およそ、哲学入門と題名がある書物は、私を門前払い扱いしてきた。何も、道場破りのような精神で、それらの書物を読んでいるのではない。もっと純粋で素直に、弟子にしてもらうつもりで懇願したはずだった。哲学は私にとっては許されざる在存であり、対象であるかもしれない。キルケゴールの死に至る病たる「絶望」が私の中にある。実は、‘哲学をどう学んでいくか‘という問を「考える」行為が既に哲学なのである。