三木清
「思索の根源性」の存在する古典的名著は案外易しい。 プラトンのダイアローグなども立派な哲学書である。思想的要素が大きいので解りやすい。しかし、本当にわかっているのかは、慎重に自省する必要があるが……… 解説書より、原典の方が結局解りやすい、という主張はわかるような気がする。大哲学者の解説を後世の三文教授が書いているのだから、メッシにコーチイングするような行為だ!
哲学は必要か?