内戦の やまない国に 外科医として 派遣され 中立的に 医療に 従事するのは 殺したり 殺されたりする人のために 治すので 虚しさは つのるばかりという。 生きるために 病と格闘中の人に 寄り添う優しさには 脱帽する。
如何に生きるかという態度。これは時代が変わっても心の片隅にとどめておきたい。
かつてのライ病院の悲惨な様子をあたりまえの日常生活のように淡々とした文章で著しているが、それがかえって読む者に病の凄まじさや恐ろしさをつよく感じさせる。ライ病患者として、その病院で暮らすようになってしまった者の悲しみや絶望感がひしひしと伝わるせつない小説である。
どんな病気でも入院する事は、つらく苦しい事だと思うが、書かれている状況は辛すぎる内容である。 仲間の身の上話も聞きたくないという。聞いてもどうすることもできないし、その事が自分の状況を再確認させられてしまうからか。 ラジオの音がうるさくて堪らないと言うのが意外に思われたが、当時のラジオの音質が悪かったからではないか。今のラジオならば音質も番組内容も良質で、せめてもの慰めに成ったのではないか。
人は何かを残そうとしているが、全てが中途半端に終わる。作家が何かを完結するのは奇跡に近い。中途半端な断片をつなぎ合わせて糧にするのがとても楽しい。完結を求める人情の浅ましさを最近はとても感じる。何が言いたいのかと人は問うが中途半端な人間に何を期待するのだろうか?
人類の意志は患者の意志に関係なく とにかく生かせばよいということ。 医者の使命は命を救うこと、生かすこと。たとえ自殺未遂者でもその患者の 意志は生きることだと医者は信じている。ただ医者を怨むでない。それが彼らの仕事だ。健常者とすれば病人達は気の毒でならない。ところが、当の病人達は非常にエゴイストだ!自分より重症患者に対しては優越感を持ち、一緒にされてたまるか!という蔑んだ視線をしている。呼吸困難に陥った同僚を笑いの対象にしていたのは健常者からすると残酷に見える。