「機縁」の感想
機縁
きえん

(友なる画家の画稿に題す)

(ともなるがかのがこうにだいす)初出:「月刊スケッチ 第十一号」1906(明治39)年2月

蒲原有明

分量:約2
書き出し:その一大海《おほうみ》かたち定めぬ劫初《はじめ》の代《よ》に水泡《みなわ》の嵐たゆたふ千尋《ちひろ》の底。折しも焔《ほのほ》はゆるき『時』の鎖《くさり》、まひろく永き刻みに囚《とらは》れつつ、群鳥《むらどり》翔《かけ》る翼のその噪《さわ》ぎと、その疾《と》さあらめ、宛《あたか》も眠《ねぶ》り転《まろ》び、無際の上枝《ほつえ》下枝《しづえ》を火の殻《から》負《お》ひ這《は》ひもてわたる蝸牛《くわぎゆ...
更新日: 2017/12/03
4541c44193aeさんの感想

蒲原有明のこの詩は福岡県久留米市出身の画家、青木繁の「海の幸」という作品に寄せて作られたものです。 有明と青木繁は明治37年より交友を始め、有明は第三詩集「春鳥集」の挿絵を青木に依頼したりもしました。 有明自身も「境遇が許すのならば画家になっていた」と言っているように書画の才能がありました。「蠱惑の書家」青木繁に対する深い同情と理解もここからくるのでしょう。 青木は僅か29歳で亡くなりますが、彼が有明に及ぼした影響は多大なものと言えます。