本作品の著者、末広博士の著書の幾つかには、十代後半から二十代前半に拝読させて頂いた。本作品は、『法律時報』(1951年5月)に掲載されたものであるが、その頃の拝読出来なかったと思う。今回、本作品に触れて、著者の法学的精神、実践的法理論には、深く感じ入りました。愚生は、法律とは、人間の社会生活における規律、規範であり、社会情勢、時代背景に則して進化する“生き物”であると考えてきた。本作品では、「判例法」と「条理法」に言及され、「法律」の柔軟性を解かれていると思う。また、個個人が「法律」における「正業」の尺度を知ることの重要性を身に付ける事の大切さを言葉を変えながら伝えられているところに、著者の「法学」の教育者としての素晴らしさを感じました。
現在、法学を学ばれている方々には是非とも読んでほしいエッセイの一つです。 私たちの日常には、基本的な仕組みや成り立ちを知らずとも、手に触れることができ、あたりまえのように社会システムの中に組み込まれ、存在しているが故に、それがあるからそうなのだという怠けた理屈で理解をしている物や事柄が山ほどあります。 この作品は、そうした数ある事柄の一つである法学という科目に焦点を当て、今一度その意味であるとか定義をみんなで再確認しようではないかという作者の意思にそって書き上げられたものです。 読者である我々は、このエッセイに対してまず法律=ルールであるという方程式を前提にした態度で読み進めていかなければならないと私は考えます。 というのも、ルールということについて書かれているという認識があれば、このエッセイを読み終えた時に、もう一度、自らの周りにある大小のルールにより改まった目で観察ができるようになると思うのです。 水中で泳ぐのにはゴーグルがあったほうが、見通しが断然良くなるのと似た仕組みで、法律の概念を理解することは、ルールという世界の見通しを良くするためには最高のアイテムです。 時間としては30分少々のページ数ではあるものの、内容的にはそれ以上の密度であるので、お得であると思います。 ぜひこの機会に一度読んでみてください。