ローマ字を 詩人の 並優れた 感性から 批判的に 吟味すると 成るほど もっともだと 想わせる てんが 少なからず あることを 読み手に おしえてくれる。どこかの 商社が 社内の 文書を カタカナを 用いて 簡素化しようとした 試みを 実践 したことが あった。不断に 自ら 点検しないと ややこしい 日本語は ますます 美しさを 失っていくと 感じた。
日本語の未来を心配してくれてます。しかし、言葉なんて伝達手段なんだから、どんどん省略されていきます。メシ、フロ、ネルで充分です。
発音が大切とする考えは現代の英語教育のような外国語の習得において重要とされてきた。 よく言われるのは、文盲率は低く、識字率が高いのが日本国であると。 その反面、リスニングやヒアリングが苦手な国民なのかも知れない。 本は読めても、文は書けても、討論やプレゼンテーションが先進国中では劣っている。国民性かも知れない。自己主張は美徳ではないのだ。 まぁ、それはいい。話を戻そう。 ローマ字論者が国府津(かふづ)を KOZUと書くのは間違いで、正しくはKAHUZUとすべきと朔太郎は言う。 関東もKANTOではなく、KWANTOなのだそうだ。この主張は当時はそうだったのだろうか?「くわんとう」なんて発音したのか?てふてふがちょうちょであるようにどぜうもどじょうだろう。 正しい日本語とは何をいうのだろうか? 「やばい」「ヤバ」「やべー」 とか言う言いまわしは何語?