大変面白く読んだ。 過去の置き去りにされた負の遺産は、僕たちの目の届かない場所に押しやられ、隠蔽されて、そのようなものは最初から「無かったもの」にされてしまうのだが、時代の一瞬を切り取れば、この文章にある通り「ヒトラー絶讚」は紛れもなく、歴史のある時点には確かに存在していた事実だったのだ。 だからこうした「ある時代」を刻印した文章を読む機会を持つことは、たいへん貴重なことだと思う。 第一次世界大戦の敗戦で多額な賠償金を課されて、すっかり疲弊してしまったドイツ経済に、何者もなし得なかった奇跡の復興をもたらしたのが、紛れもないヒトラーだったからだ。 ヒトラーは、荒廃したドイツに溢れかえる失業者に、まず、公共事業を創出して仕事を与え、国土を整備して国民を貧困から救い出し、ドイツ人に誇りと夢(具体的にいえば復讐心だが)を与えた。 この辺の事情は、やがて、この経済的復興が成し遂げられると、その慢心は必然のように隣国に対して領土的野心を抱かせ他国への侵略に動き出した現在の中国や、そして、現に世界を戦争の悪夢に巻き込んだプーチンを見れば、容易に理解できる。 当時の欧米の政治家たちは、ヒトラーの天才的な政治的·戦略的手腕を見せつけられて、一瞬たじろぎ躊躇した間隙を突かれるかたちでドイツの電撃的侵略を許してしまった。 その辺の高揚した雰囲気を称賛のかたちで素直に伝えているのが、この「ヒトラーの健全性」という文章だ。 あの人殺しのプーチンも、みずからの愚行を恥じて、その醜態と死体を衆目にさらされるのを恐れ、追い詰められた最後の逃げ場の地下室で、自分の死体が識別できないくらいの勇気ある自爆ができるか注目している、 ほどなくして、それは分かることになる、たぶんね。
私はこれは好く好かないだと、好かん。 だが、この当時にはこの思想はもしかすると当たり前のようにあったのかもしれない。 好かないが、だが、これの正誤や善悪を判定することは極めて難しい、と思う。 ドイツが勝っていたら……
底の深いことを書きつければ、底の深い思想が残り、 そして、底の浅いことを書きつければ、底の浅い思想が残る。 後悔しても後の祭り。心しなければ。
いつの時代にも百田尚樹はいる。