「文化史上より見たる日本の数学」の感想
文化史上より見たる日本の数学
ぶんかしじょうよりみたるにっぽんのすうがく
初出:「哲学雑誌 第三十七巻第四二一―四二六号」1922(大正11)年3月~8月

三上義夫

分量:約135
書き出し:緒論日本で数学の発達したのは徳川時代及びそれ以前〔後〕のことであって、上古以来戦国時代の終わりまでは数学に関して幾らも知られたことがなく、また明治大正時代の数学は西洋の学問を宗として起こったもので、未だあまり特色も見えないし、未だこれを歴史的に観察して充分な意見を発表し得るまでに研究が進んでおらぬから、しばらく徳川時代の数学、いわゆる和算なるものを主として論ずることとする。もし数学者の立場で和算を...
更新日: 2017/07/21
b9ef941530ccさんの感想

三上義夫の文化史上より見たる日本の数学は、日本人は感情的で、論理的でない。和算は芸術性があるが、理論的に考えない。問題を解く術に拘り、解法の証明はない。和算はシナの数学から来ているので、代数学的である。しかし、シナのものを改良して、図形や絵をよく用いて解いて、楽しんでいた。和算はそもそも遊食階級の武士たちによって高められたが、あくまでも楽しみで、科学的論理的でない。江戸が和算の中心地だった。ギリシアは幾何学的で、インドは代数学的と言われるが、和算に幾何学は全く無かった訳ではない。図や絵が豊富なのも幾何学的考えの助けにはなっていただろう。明治維新以後、和算は廃れて西洋の数学がとって替わり、実用学科の物理化学が発達した。日本でには数学の才能はあるが、明治の時代の要請で、実用学科が進み、数学は発達は取り残されたのはしかたない。総じて独自に発展した和算は欠点間違いは多かったが、日本の数学である。