三上義夫の文化史上より見たる日本の数学は、日本人は感情的で、論理的でない。和算は芸術性があるが、理論的に考えない。問題を解く術に拘り、解法の証明はない。和算はシナの数学から来ているので、代数学的である。しかし、シナのものを改良して、図形や絵をよく用いて解いて、楽しんでいた。和算はそもそも遊食階級の武士たちによって高められたが、あくまでも楽しみで、科学的論理的でない。江戸が和算の中心地だった。ギリシアは幾何学的で、インドは代数学的と言われるが、和算に幾何学は全く無かった訳ではない。図や絵が豊富なのも幾何学的考えの助けにはなっていただろう。明治維新以後、和算は廃れて西洋の数学がとって替わり、実用学科の物理化学が発達した。日本でには数学の才能はあるが、明治の時代の要請で、実用学科が進み、数学は発達は取り残されたのはしかたない。総じて独自に発展した和算は欠点間違いは多かったが、日本の数学である。