木村荘八
荘八が 新聞小説「情鬼」の挿絵を受持ったとき 大隈重信公が渡った橋は 木橋か鉄橋かにつき疑問がわいたので 調べたところ 意外な事実が判明したのには 吹き出した。 繪を描くよりも 考証に時間がとられたという。 図書館でいうところの (参考業務)を 自力で 探索するのは 骨が折れたことと思われる。