「両国橋の欄干」の感想
両国橋の欄干
りょうごくばしのらんかん

木村荘八

分量:約8
書き出し:柳橋の明治二十年以前木橋であつた頃は、その欄干は上図のやうな木組であつたが、これは一曜斎国輝の錦絵「両ごくやなぎばし」の図や、明治二十二年発行の「日本名所図会東京の部」(大阪府平民上田維暁編)などに写されてゐるので(第一図)わかる。明治初年彰義隊の時に油を灌いで焼かれたといふのもこの構造の柳橋であつたらう。欄干の木組が十文字のぶつちがひになつた構造は、古くは日本橋も黒塗りの木組で絵図にさう写されて...
更新日: 2025/08/28
艚埜臚羇1941さんの感想

  欄干と いうと 橋の上から 果物の 皮を 細く 剥き 水面まで 届くか 人寄せに やってみせる 器用者が いた。物見高いは 江戸の 華 なので 黒山の 人だかりと なる。拍手 喝采で うまくいき 人が 散ると 懐中の 財布は 無くなっている。仲間を 語らって 擦りを 企むという 仕掛けで ある。毎日 仕組むと ばれるので あまり  割のよい お仕事では なかったのだろう。 川の 水かさが 増すと 馬が ぐるぐる まわりながら 流されたり 藁葺きやね だけが 流れて行くことも あったという。