「赤城の山も今宵限り、可愛い子分のてめえたちとも別れ別れになる定めだ」で有名な国定忠治の話。 つい「有名な」と書いてしまったが、いまだに「有名」を保っているかどうかは、はなはだ心許ない。 清水の次郎長を知らないヤカラさえいる。 時が移り、かつては「常識」であったものが、いつの間にかレアな「素養」に変じてしまった可能性は大いにある。 捕り方を斬り殺し、公儀から追われる身となった国定忠治が赤城山に逃れ、これから何処かに落ち延びようというのだが、人目につく大人数の子分を連れていく訳にもいかず、同行する3人を入れ札によって互選で決しようと考える、選ばれなかった者たちの異論をあらかじめ抑え込むためもある。 現代でも大学の教授会なんかでは大いにありそうだが、とかく「互選」というやつは、派閥や思惑、シガラミや恩が絡んでドロドロの惨状を呈するもの、まさに「白い巨塔」がそうだったじやないか。 ずっと前にこの小説を読んだ当時、この「疑心暗鬼」が、ドラマになると着眼した菊池寛の慧眼には感心したが、それ以上のものではなかった。 最近、高見順の「昭和文学盛衰史」を読んでいたら、こんな箇所があった。 大正9年、田山花袋と徳田秋声の生誕五十年祝賀を記念して「短編小説集」が企画された。執筆者は大正時代を代表する33人の小説家というコンセプトで、そうそうたる作家の名前が列挙されたあとで、 ❮ここでひとり長田幹彦がおちている。人選に漏れたのである。その間の事情は、先にあげた久米正雄「文士会合史」に詳しい。その人選のときの模様にヒントを得て、菊池寛は歴史小説「入れ札」を書いた。❯ なるほど、こういう背景を知るまでは、この作品を奇妙な国定忠治小説だと思っていただけだが、事情を知ると、国定忠治に仮託した文壇小説として楽しむこともできる。 そうそう、最後に、あの大正時代を代表する33人の小説家のリストの中には、しっかりと菊池寛の名前があることを申し添えておかなければならないかもしれない。
忠治親分が 世間の裏街道を落ち延びるにつき 目立ち過ぎるので 同行者を 抽選で決める話し。 何処が 値打ちかわからない。 目が疲れるだけと思った。
登場人物たちの生い立ちや馴れ初め、各々逃げるに至る経緯は添え物という感じで、籤引きをするうえでの愚かな心理戦を説いているという小説。 軽く読むにはこちらの文章のほうが読みやすかったです。もう一方の入れ札は「」などの記号がなく、読んでいて少し疲れるので、読むなら「」付きの方をおすすめします。
投票を通して様々な人間性を垣間見ることが出来る作品。読みやすく、現代でも通じる面白さがあります。