「赤い壺(三)」の感想
赤い壺(三)
あかいつぼ(さん)
初出:「層雲 大正五年三月号」1916(大正5)年3月

種田山頭火

分量:約2
書き出し:物を弄ぶのはその物の真髄を知らないからである。理解は時として離反を齎《もた》らすけれど、断じて玩弄というような軽浮なものを招かない。鏡を持たない人は幸福である。その人は自分が最も美しいと信じきっている。私はそういう見すぼらしい幸福を観るにも堪えない。自己を愛するということは自己に侫《おも》ねることではない、自己に寛大であることではない。真に自己を愛するものは、自己に対して最も峻厳であり残酷でさえあ...
更新日: 2018/02/13
gnosaさんの感想

達観したような書き方に、逆に著者の寂しさを見るよう。