「述懐」の感想
述懐
じゅっかい
初出:「広島逓友」1938(昭和13)年8月

種田山頭火

分量:約1
書き出し:——私はその日その日の生活にも困っている。食うや食わずで昨日今日を送り迎えている。多分明日も——いや、死ぬるまではそうだろう。だが私は毎日毎夜句を作っている。飲み食いしないでも句を作ることは怠らない。いいかえると腹は空いていても句は出来るのである。水の流れるように句心は湧いて溢れるのだ。私にあっては生きるとは句作することである。句作即生活だ。私の念願は二つ。ただ二つある。ほんとうの自分の句を作りあ...
更新日: 2022/03/03
cdd6f53e9284さんの感想

「けふは仏の日だから特別にお経を読んでくれ、などといふ事もあるでせう······」 「さうした時にはお布施を貰ひます。然し金を持つと、行乞は出来ませんよ、気持ちがうそになります、自分で其の気持ちが恥ずかしくなります、そんなときは、早く泊まってしまって、本を読んで暮らすのです」 皆はまた笑った。 だが、彼のいふところは真実だ。 食ふに足りるものを持ってゐながら、物を乞うというのは、貯える心である。 貯へることは、明日は与えられぬかもしれないと用意する心である。 それは、生を大自然に托しきった心ではない。 正しく与へられる事の幸を得る為には、正しく持たないといふことの境涯になりきらねばなるまい。 何物をも持たぬがゆえに、一切の物を有していることができる。