「私を語る」の感想
私を語る
わたしをかたる

――(消息に代えて)――

――(しょうそくにかえて)――初出:「「三八九」第壱集」1931(昭和6)年2月2日

種田山頭火

分量:約2
書き出し:私もいつのまにやら五十歳になった。五十歳は孔子の所謂、知命の年齢である。私にはまだ天の命は解らないけれど、人の性は多少解ったような気がする。少くとも自分の性だけは。——私は労れた。歩くことにも労れたが、それよりも行乞の矛盾を繰り返すことに労れた。袈裟のかげに隠れる、嘘の経文を読む、貰いの技巧を弄する、——応供の資格なくして供養を受ける苦脳には堪えきれなくなったのである。或る時は死ねない人生、そして...
更新日: 2025/01/03
65c8aadc88adさんの感想

川喜 嘘の 経文を 詠んで みせたりする 貰いの 技巧を さりげなく 労する。次第に 自分自身に 嫌気が さしてきたようだ。さもありなんと 感じた。乞食だって つらいのです。06:04

更新日: 2024/12/13
837281a57b00さんの感想

50歳は最近だとまだ若い、と捉えられるけど死はいつ何時くるか分からない。若い頃よりずっと。 読んでいると、なんだか最近SNSで見かける独り言に近いものがある。 親近感が湧く一作かも。