溺死に火事とスプーン、おかしな取り合わせの3つの言葉のタイトル。 それぞれ短いエピソードで綴られているのだが、お互いに何か関係でもあるのか、それとも幼い頃に脳裏に刻印されていた映像が、時おりフラッシュバックのように甦る衝撃的なイメージを同時的に書き留めただけなのか、ほら、シュールレアリズムのアンドレ·ブルトンが提唱した自由筆記法とかいうのがあったじゃないか。 あの方法でパッパッと書いた小ネタ集なのかもしれない、よく分からないが。 でも、わが日本には、落語の世界で「三題噺」という即興の作劇法というのがある。 観客から任意のお題を三つ貰い、それを取り込んだ噺を即興で作ってしまう、いわば神業だ。 三遊亭円朝が得意としていて、この方法で幾つもの名作を残した。 しかし、この原民喜の奇妙なエピソード集は、どうもそれとも違うようだ。 あれこれぼんやり考えていたら、以前読んだ小説の強烈な一節を不意に思い出した。 オブライエンの「スウィム·トゥー·バーズにて」だ。 さっそく、筑摩世界文学大系を引っ張り出した。 そうそう、この部分だ。 ❮火に焼かれて死ぬ、いいか、これはまったく只事じゃない。 溺れて死ぬ方がもっとひどいそうですけど、とラモントが言った。 分かってないようだな、とファリスキーは言う。火にあぶられるくらいなら、三回溺れる方がずっとましさ。······水を張った洗面器に指を一本突っ込んでみたまえ。 どんな感じだ。 なんということもあるまい。 でも、火の中に突っ込むとなると! なるほど、そんなふうに考えれば、いかにも、とラモントは頷いた。❯ ふむふむ、これが、ただの小説ならまだしも、つい最近もウクライナの戦場とか観光船沈没とかで実際に起こっていることなので、どうしても心穏やかには読めないなあ。
なんとなく途中で想像がついてしまったけれど ゾッとする話