「昔の女」の感想
昔の女
むかしのおんな
初出:「中央公論」1908(明治41)年12月1日

三島霜川

分量:約35
書き出し:埃深《ほこりふかい》い北向の家である。低い木ッ葉屋根の二軒長屋で、子供の多い老巡査が住み荒して行ッた後《あと》だ。四畳半と三畳と並んで、其に椽が付いて南に向ッてゐる。で日は家中に射込むて都《すべ》て露出《むきだ》し……薄暗い臺所には、皿やら椀やら俎板やらしちりんやらがしだらなく取ツちらかツてゐるのも見えれば、屡《よ》く開ツ放してある押入には、蒲團綿やら襤褸屑《ぼろくず》やら何んといふこともなくつく...
更新日: 2022/03/01
cdd6f53e9284さんの感想

三島霜川の「昔の女」という作品は、自分にとって、初めて読む作家の小説だ。 作家についても作品についても、予備知識など、まったく持たずに読んでみた。 書き出しは、荒廃した借家の汚れ様を微細にわたり写実し、あまり裕福とはいえない淀み荒んだ造作のあれこれが執拗に描かれている。 主人公の由三は、作家志望の30歳を過ぎた独身男で、だいぶ呆けが進んだ老母と同居している。 机の上には、開けたままの原稿用紙が置きはなしてあって、一向に字が埋まらず、イラついているのは、そのためか。 起き抜けに、病弱な母親の陰気な愚痴を聞かされ、やりきれない思いを持て余し、ついに耐えかねて、由三は口実をつくって家を飛び出した。 当てもなく、あちこちさ迷い歩くが、もとより歩きなれた街だ。 ふと、古道具屋の前で足を止める、 紫の羽織を着た女の肖像画がこちらを見ている、それが誰かに似ているのだが、はて、誰だったろうかと思いながら絵を購ってしまう。 そして、やがてその女を思い出す。 綾さんだ。 由三が十四五の頃、世話になっていた叔父の家によく遊びに来ていた元藩士という男の娘で、十一二の美しい娘が綾だった。 綾の父親は叔父とある事業に共同出資して失敗し、一家の零落を招いた。 由三は、わけあって数年、東京を離れなければならなかったが、別れるときの綾の印象を目の底に焼き付けて東京を離れた、貧しいながらも、こざっぱりとした気品のある美しい少女だ。 その時の印象を胸に抱きながら、由三は数年後に綾と再会する。 しかし、綾は、病を得て伏せ勝ちの父親に代わり、一家を支えるために鉛筆工場で働く世間ずれした逞しい女工になっていて、もはやそれは、由三の知っている美しく上品な少女の綾ではなかった。 その後、風の噂で、綾は同じ工場で働く男に望まれて結婚したという話を聞いて以来、しばらく忘れかけていたある日、道でばったり綾に会う。 ひどく所帯やつれしていて、かつてのあの美しさなど、いまはもう見る影もなく、しかも、ひどく動揺している。 立ち話ながらも、その後の彼女の離婚から一家離散に至るまでのあまり幸せそうでない散々な身の上話も聞いた、そしていま彼女は、奉公先で倒れた母親の所に駆け付けるところだという。 街の古道具屋で買った肖像画によって、由三は、いまさらながら、あまりにも多くのものを失ってしまったことを苦々しく思い出しながら、懐かしさから買ってきたはずの綾に似た肖像画を、改めて見る気など、いまはすっかりなくしてしまっていた。 以上、ざっと読み飛ばしてしまったのだが、どこかの箇所で叔父さんから 「綾さんと一緒になったら、どうだ」 とか言われたと書かれていて、その一言が由三の気持ちにどう響くのか、気にしながら読み進めたのだが、それ以上のストーリーの枝葉的な発展はなく立ち消え、いつの間にか自分も追いかけていること自体も忘れてしまった。 もしかしたら、まさにあれが凡作と傑作の別れ道だったかもしれない。 読み終えたあとで該当箇所「綾さんと一緒になったら、どうだ」の部分を探してみたのだが、見つからなかった、 結局、単なる幻だったのか、あるいは、あらまほしき我が妄想だったのであろう。

更新日: 2019/10/26
19双之川喜41さんの感想

 古道具屋で 昔の女の肖像画を偶然見つけ 買ってしまう。 困窮している暮らしの生活感は 伝わってくる。 唯 つをツに、置き換えて 文章を紡ぐ。 意図が わからない。 才能の片鱗を 窺いしるべきか。

更新日: 2018/03/28
771ffdjm4985さんの感想

タイトルから受ける古くささはない。夢と現実。ちょっとほろ苦い。うまくいかないもんだな人生って。