最後は皮肉な終わりかた
感情は、しみじみその立場に経ってみないと得られないものなのだなぁと思った。 気力がなくなり死ぬのではなく、気力がないと死ねないのなら、その気力をどうにか違う形で使えればと思うが、その時に命を経とうとしなかった場合は生き延びた人と同じようなていに為ってしまうものなのか。
人間の命ってこんな軽々しく考えられていたのだろうか?
もしこの場所で商売をしていなかったら、こんな目に会わずに済んだのかな。だいだい自分の家の目と鼻の先で、こんなことされ続けたら迷惑以外の何物でない。 娘の存在が良いなあ。一人だったら貯金をするとか、着物を買ってやるとかならないだろうな。 自殺未遂者たちの毒気に当てられ続けたんだろうな。もし彼らの救助を娘に手伝わせていたら…そりゃあ親だったらそんな酷い様は見せたくないだろうけど、一圓五十銭の元がこれだと分かったら性根も変わっていただろう。親のある程度のカッコ悪い姿を見せることは、子どもの教育には必要なんだろうな。
自殺者を助けたら表彰され、自殺を助けたら罪に問われる。 自殺する権利があるか否か、は哲学的テーゼである。法も殺人(他人を殺した者は………)は罰しているが、自殺(自分を殺した者は………)は罰してない。自殺未遂も罪ではない。 しかし、自殺幇助は罪なのだ。ただし、不作為犯ではないので、助けなければならないという作為義務はない。仮に老婆が川でもがき苦しむ自殺志願者を眺めていても良いのだ。 老婆が助ける理由は正義感からでなく、府庁から貰う金の為だ。身投げ救助「業」なのだ。 さて、身投げ救助業なる職業が世に認められるか、という点ではあるが、凡そ助けられた自殺未遂者から感謝されないことから、職業にはならないと思う。それは、老婆が自ら体得した思いであろう。
本人は良いことをしたと思っていても、相手にとってはいい迷惑だった、なんてよくある話だ でも、何度も人の死ぬる姿を見るのは、老婆もつらかったのだろう
いや~、面白い 菊池寛、最高に面白い! 自殺未遂は恥ずかしいだろうナ 恥ずかしいから生きていられないだろうナ 助ける方は英雄気取りだが 助かった者からすれば甚だ迷惑な話だ しかし 自殺目的の入水者に手を差し伸べると 必ず掴んでくるのが生存本能というところが面白い 勝手なもんだナ 婆さんも 助ける側が助けられる側にまわるとは 皮肉なものだ やっと助けられた者の気持ちがわかったろうに・・・・・・感謝どころか怨みつらみ怒りで 死ぬことすらの自由もない自分への 憤り ・・・・・・それが全てだ・・・
京都の自殺スポットの説明と、身投げ人の救助に奮闘する老婆のお話。
助ける側には驕りがある。 親切には「してやった」という心がある。 無償の愛情のなんと難しいことだろうか。
自殺を扱った物語。残酷なような 滑稽なような、人間の業(よくわからないが)を表現している。 どんどん読み進めていける。
お婆さんの立場の逆転、その後お婆さんは、死ぬまでどうしたかを、考えると、やっぱり世の中、金だなと思いました。
よく思いつくと感心する。