「須磨子の死」の感想
須磨子の死
すまこのし
初出:「文章世界 第十四巻第二号」1919(大正8)年2月1日

田山花袋

分量:約6
書き出し:他を批評するといふ心は、他に対して未だ完全の理解を持つてゐない心である。いかなる批評を以てしても、その当躰の核心は言破することが出来ない。その批評それ自身が批評される当躰と同一乃至抱合の境地に達しない以上は——。そしてその境地は既に批評の境地でなくて、自己の独創になつてゐることを私は思ふ。批評は他のために存在するものでなくつて、自己の為めに存在するものであらねばならぬ。紛々たる世間の批評は、要する...
更新日: 2018/03/10
芦屋のまーちゃんさんの感想

「夫婦関係は決して楽なものではない・・・」 という記述がある 男女が互いの魂を掴み合うことが難しいからだそうだ 子供のころ僕は離婚する夫婦の存在が理解できなかった 恋人同士なら別れがあるのも仕方ないが、 彼らは恋人時代という下積時代を克服して結婚したワケである 男女関係のプロフェッショナルと言ってもいいはずだ ところがだ 実際に結婚して子どもも3人もいると どうだ 人の考えなんて、 いつだってコペルニクス的に変わって しまうということを実感している プロのはずの僕らも、闘争まではないが互い武器は準備した冷戦が続いている 部活をサボりたい気持 中学の教師がかつて 「部活をサボるやつの気持がわからん」と言っていた 「好きで部活してんだろ」 「嫌なら辞めろ」 そうじゃないんだよナ 夫婦だって確かに互い好きなんだけど ケンカくらいするサ 「あんた何て嫌い」 と何度言われたことか 生きることだって同じだ 「好きで生きてんだろ、嫌なら死ね」 と言われたって、そう簡単に 死ねないヨネ~ 他の批評するトキは僕だって中学教師のような発言もできるが、いざ自己批評をするとなると矛盾が生じます みなさんは どうですか?