「半日の閑話」の感想
半日の閑話
はんにちのかんわ
初出:一「読売新聞」1924(大正13)年9月12日

田山花袋

分量:約9
書き出し:一人間の一生を縦に考へて見ただけでも、世間に就ての考へ方は各自に、非常に違つて来るやうなものである。若い頃には誰でも大概は世間に圧されてゐる。意味なしに上から圧迫されてゐる。従つて弱いものはいぢけ、強い者は反抗するといふやうな態度を取るやうになつてゐる。それといふのもさういふ時代には、対象は十の八九まで世間であつて、何うかして人並になりたい、世間並になりたい、世間のひとりとして認められたいと思つて...
更新日: 2018/12/04
いちにいさんの感想

なるほど、なるほど。 世間と自己について。 世間というと、私には50才過ぎても、抽象的な存在なので、会社と置き換えても良いだろう。 新入社員の頃は、バブル期という安堵もあり、「いつでも辞めてやる。」と思い、会社を斜めから見ていたと思う。 しかし、今は結果として会社にドップリ漬かってしまった。「結果として」というのが真意で、決して媚びへつらったりして出世街道を駆け抜けている存在ではない。どちらかと言うと「いじけ組」だ。 それでも、辞表を書く勇気もなく、「何だ、うちの会社なんて、大したことないじゃないか。」と負け惜しみを蔭で言う。給料に見あった仕事をしていない幹部連中たちを真っ向から非難し、クーデターを起こすなどとは程遠い。波風立てずに、定年を迎えたいのだ。サイレントマジョリティの一員だ。 政治の世界もどうかと思う。保守と革新について。自民党に対する野党。野党の答弁も野党だからの答弁に過ぎない。彼らが決して保守には成れない。 同様に、自分も幹部には成れそうもない。幹部経営者には彼らなりの苦悩があるのだろう。彼らにも新入社員のころがあったのだから。