「批評的精神を難ず」の感想
批評的精神を難ず
ひひょうてきせいしんをなんず
初出:「文章世界 第十三巻第十号」1918(大正7)年10月1日

田山花袋

分量:約8
書き出し:批評的精神批評的精神とか、自己を深く見詰めるとか言ふことも、人間としては決して第一義的ではない。無論さうしたことも人間には必要なことであり、なくてならないことであり、ある時期には人間の修養上、研究上、または自然に促された要求として、さういふ種類の心持をかなりに多く持つものであるが、しかしそれは決して全身的または根本的ではない。もしそれが総てゞあるやうになれば、その人は必ず行詰つて了ふ。平凡で、単調...
更新日: 2022/04/04
cdd6f53e9284さんの感想

田山花袋の書いたものは、あまりにも自己弁護に偏りすぎているので、正直に付き合っていると、マジ疲れる。 早い話が、「深読み」厳禁なのである、なんだなんだと読み進めるうちに「はあ?、その程度のことを言いたかったわけ?」とあきれて苦笑すること、たびたびだ。 波が引くと、あとには、こちらの思い込みだけが、寂しく取り残されていたなんてこともある。 まあ、これが、自分の田山花袋に対する距離感なのだが、さて、この「批評的精神を難ず」は、どうだろう。 四つの見出しに分かれていて、その一番目は、ズバリ「批評的精神」、まず断っておくが、このタイトルを見て、即小林秀雄などを連想してしまうような初心者は、最初から読むことをお薦めしない、 そもそも、そういうタイプの話ではないのだ。 例えば、ひとり寂しく晩酌している親爺が「阪神は、つくづく弱いねえ」と呟くような、あるいは、近所の奥さんと立ち話をしながら「最近、大根高くなったわねえ」と嘆く振りをし合うような、まさに「あれ」だ。 まず、最初に「批評的精神だとか、自分を深く見つめるなんてのは、さして重要なことではないのだ」と、ぶちあげる。 誰だって何だろうと思う、当然だ。 「批評的精神がなんでダメ?」、だって批評はとっても大事なことじゃないか、 でも、さらに 「深く自分を見つめるなんてのも、ダメだからね」と、畳み掛けてくる、 さらに訳がわからなくなるが、だんだんこちらの方も切れかかってくる。 「結局、何が言いたいんだあ!」と大声になる、ならざるを得ない、だってそうだろう、こっちにしたって限度というものがあるじゃないか。 でも、声を荒げるのは良くない、とうぜんだ。ここは冷静になって、改めて問い直そう。 「あのね、あなたの言うところの批評って、なんなん?」 すると、花袋センセイは、こうおっしゃった。 「ただのおせっかい」 ちなみに、他の三つの章も拝読させていただきましたが、あえてコメントは控えさせていただきます。 わが感想は、ご想像にお任せしますが、たぶんそれで合っていると思います。 以上