「武士を夷ということの考」の感想
武士を夷ということの考
ぶしをえびすということのこう
初出:「歴史地理 第二六巻第四号、第六号」1915(大正4)年10月、12月、「歴史地理 第二七巻第一号」1916(大正5)年1月

喜田貞吉

分量:約43
書き出し:一緒言国史地理学上、本邦の種族調査の一部として、さきに「夷俘・俘囚の考」と「東人《あずまびと》考」とを発表したる余輩の研究は、ここに中世において武士を夷《えびす》と称したることの理由を説明すべき順序となれり。「えびす」とはいうまでもなく古史に見ゆる蝦夷、すなわち今日北海道になお約二万の遺※を存するアイヌ族のことなり。その住所東方にあるがゆえに、あるいはこれを東夷という。平泉中尊寺なる藤原清衡の「願...
更新日: 2022/04/19
阿波のケンさんさんの感想

特に。平安時代中期以降東国の武士を東夷と称したことについて作者の考えを述べたもの。複雑だな