カラッとしていて遠くまで見渡せるような
幸せは他人が与えるものではない。幸せは自分で決めるもの。だとすれば義太郎はあれでいい。父母にとっては世間体が悪いけど。
天才と狂人の間、という小説があったが、義太郎の木登りの技は天才的である。狐か猿が憑依しているかは知らぬが、義太郎が幸福そうであればそれはそれで良いこと、とする末次郎に歩がありそうだ。知らぬが仏ではないが、義太郎が正気に戻れば自分の人生を恨むに違いない、という推測は説得力がある。もっとも、狂人と天才は紙一重であれば、正気に戻った時点で読み書きは基より、学問も天才的に出来たりするかも知れない。少なくとも、巫女はインチキ臭い。
狂人は明治、大正くらいの小説には珍しくない。定番の登場人物だ!
父の言うこともわかるが弟の言うこともわかる。何をもって幸せとするかは本人しか知らないし、試してみることもできない。 主人公は一般的な幸せはどうしたって知れないという点では憐れだと思う。
人の幸せとはなんなんでしょかね。