「拷問の話」の感想
拷問の話
ごうもんのはなし
初出:「新小説」1924(大正13)年2月号

岡本綺堂

分量:約21
書き出し:天保五、午年の四月十二日に播州無宿の吉五郎が江戸の町方の手に捕われて、伝馬町の牢屋へ送られた。かれは通称を定蔵といって、先年大阪で入墨の上に重敲《じゅうたた》きの仕置をうけた者で、窃盗の常習犯人である。大阪で仕置をうけてから、かれは同じく無宿の入墨者利吉、万吉、清七、勝五郎ら十一人と連れ立って江戸へ出て来た。かれらは二、三人または三、四人ずつ幾組にも分れて、馬喰町その他に宿を取って、江戸馴れない旅...
更新日: 2022/04/29
cdd6f53e9284さんの感想

盗まれた品物が現に見つかり、証人もいて面もわれているのに、それでも頑なに犯行を否認し続ける強情な吉次郎を、奉行所は自白を得るために拷問にかける。 しかし、過酷な仕置きにもかかわらず、頑健な吉次郎は耐えに耐え、なんと26回の拷問に耐え続けて、ついにこのままでは自白を得ることができないと諦めた奉行所が認定裁判を行って強引に結審に持ち込み、ようやく被疑者を処刑することができたという物語、なんだか現代でもありそうな迫真のドキュメンタリーを読み終えたような充実感を覚えた。 映画なんかで見ると、奉行所の与力などは簡単に美形の女郎を半裸にして逆さ吊りにし、水はぶっかけるわ、棒で殴るわ、股の間を○○(自主的に伏字にしました)したり、それはもう大変な騒ぎなのだが、これを読むと、誇張されたフィクションに過ぎなかったことがよくわかる。 当時の奉行所だって、そう簡単には拷問なんてしなかったのだ、というか一定の歯止めがあってできなかった。 つまり、江戸時代の裁判制度というものが、かなりのレベルまで整っていたことが、この小説を読むとよく分かる。 吉次郎にしても頑なに自白を拒むその理由が、牢仲間からの称賛を得るための矜持だったり、見栄だったりという「また別の価値観」で保たれ、支配されていた闇の社会の存在もかいま見えた。

更新日: 2021/08/04
19双之川喜41さんの感想

  正しくは 釣るし責めのみを 拷問というらしい。 証拠▫証人があっても 断固として 自白しない 強情者はいた。 当時は 自白主義なので 拒否されると どうにもならない。 牢に戻ってくると 牢名主から凱旋将軍のように 扱われることがあったという。 奉行所の与力から 筆者が 直接に聞いた話なので 信憑性がある。 温情的な運用であったらしい。

更新日: 2021/03/15
b53e79cfe52cさんの感想

剛の者もいるものですね。他の諸藩の拷問も聞いて見たいですね。

更新日: 2019/02/28
0b83909b95bfさんの感想

拷問に耐えて自白せずに牢に戻ると英雄扱いされるとは…昨今の英雄気取りのバカッターも同じような心理なんだろう。拷問は文字通り体を張っているわけだが、バカ映像作者もそのうち損害賠償請求されて真っ当な生活に戻れなくなるのでは。

更新日: 2017/02/05
ddb20f03995eさんの感想

内容はまあまあでしたが、ごうもんのことがくわしくわかってよかったです