ある日、友人より日経新聞土曜版で連載中の森下典子さん「半歩遅れの読書術」を紹介してもらった。 そこに書いてあったのが本作。私は菊池寛、一度も読んたことなかった。のに!一気に惹き込まれた。 無駄の一切無い雄渾な筆致。物語は、ある武家屋敷、主殺しの現場から始まる。憎しみと懺悔、仇討ちと大誓願、二人が最期に見るもののは。。 行ったことがなかったが、ネットで九州は羅漢寺の険しい様子を調べながら読みました。その情景を思い描きながらお楽しみください。
中学生の頃に現地でこの話を知ってから20余年ぶりに改めて読みました。 やはり面白い! 実際の洞門、鎖渡し、山国川の急流…… それらを見たからこそフィクションながら凄いという言葉と共に感動すら覚える! 人は成し遂げようという気持ちがあればなんでも出来るという事を教えてもらった
これは最高に面白い。何かに熱中している描写を、比較的短く「〜た。」という形の文を連続させることでその空気感を直感的に感じた。
あの世に行けば、いや…そのような場所がなくともこの世で他のモノにしたことが自分に返ってくる。そう強く感じた。相手にとって良い行動とは何か考えてみようと思う。
もっと早く読みたかった。読めばよかった。 強い思いが人を狂わせ、救い、周囲も変えていく。 恩讐。情けと恨み。正しく、タイトルの通り。
主人公、主人を殺して妾と逃げる。果ては強盗に成り下るも、これは、いかんと妾の元から逃走。この女がかなりやばい。諸悪の根源はこの女にあるだろう。 救ってくれた和尚との出会いにより改心。ここから旅に出て、九州の巨岩岩堀に苦節20数年。周りからいかに蔑まれようとも、救済と贖罪と懺悔の日々だろう。 その間に、父の仇討ちに出てきた息子と出会うものの、これは、 ものすごい葛藤だ。 いざ、目にした仇が、骨皮筋になった老人を討つよりもそれを乗り越え、共に岩堀をし成就した行動に、感じ入るものがあった。 まさにタイトル通りの作品。
どう感想を書いていいのかわからない 罪を償うというのは、命を引き換えにすることが唯一の方法というわけではないとは思う いやこれも、ある意味命と引き換えなのだろうか
「生きる」ことについて考えさせられた。市九郎が洞窟を彫り始めたのは贖罪の為だったが、時が経つにつれただ目的を達成させるという自分自身の為に穴を彫るようになる。実之助の心が動いたのも、市九郎が懸命に目的のために生きていたからこそであると思う。しがらみを超えた恩讐の彼方の境地には、読んでいて自然と涙が出た。 近年の復讐が題材の作品はスカッとするカタルシスを得る娯楽であり、悪は悪でしかないように描いてある物が多いと感じる。だから尚の事、復讐される立場の者の感情の機微を描いたこの作品は面白いと思ったし、私にとってはむしろ新鮮に映ったかもしれない。
⚫️罪の償い、は難しい。 ⚫️法で裁かれるのであれば、当時は主殺しは死罪である。現代でも、大量殺人を後に犯しているので、死刑であろう。 ⚫️市九郎(了海)は改心して仏門に入った。元々、悪人ではなかったので良心の呵責があった。 ⚫️相談に応じた、僧侶は今で言う、犯人隠匿の罪に問われないか?という疑問は野暮である。 ⚫️洞門を掘るという行為が、罪滅ぼしと信じ、20年以上の歳月をかけて偉業を成し遂げた、というのだ。 ⚫️その間の食事はどうしていたのか?という現実的な疑問も野暮であろう。 ⚫️父の仇(実之助)をも感動させた了海の偉業。 ⚫️fictionであるのは間違いないが、読者にとっては賛否両論ある作品と思う。 ⚫️野暮な疑問をついて作品批判をする読者もいるだろうが、私は了海のような行動は絶体にできない、と感じた。 ⚫️自分が取り返しのつかぬ罪を犯したらどうするだろうか?身近なことなら、交通事故の可能性はある。過失致死は誰にでも犯す可能性がある。絶体に救護活動後警察に連絡(自首といってもいい)すると言い切れるだろうか?一瞬でも逃走心理が働かないとも限らないぞ!バレなければ…………、という心理は浮気の時だけの感情ではないと思う。 ⚫️他人に薦める本の一冊として、皆で「罪とは何か?」を考えましょう。
屍に鞭を打つのは、呉の伍子胥。
感動はあります。 でも 欲を言えば 隧道内の作業の書き込みを 丹念にしてくれたら もっと面白いと思う。 掘削作業は 中心的な場面ですから。 ならば お前がと言われたら よわりますけど。
市九郎は妾を奪うために主人を殺害して逃亡、強盗殺人を繰り返す。 ゲス過ぎてしょうがないが、猛省し仏門に入る。 九州に渡り、通行の難所で何人もが命を落としている場所があり、そこでトンネルを掘ろうと決意する。 犯した罪は消えないが償うため周囲の嘲笑を受けても止めない。 次第にその懸命さに人々は心を動かされる。 もちろん罪は犯すべきではない。 罪を犯した人は更生できるのか、そして社会でも認められることができるのか、考えさせられる。 主人の息子が仇討ちに来る。 息子には大義名分がある。当然の報いだ。 しかしラストは、ほぉぉっと感心させられ 拍手したくなる。 この物語に出てくる九州の手掘りトンネルは大分県中津市本耶馬渓町に実在する「青の洞門」がモデルらしい。手掘り…気の遠くなるような作業だっただろう。
以前、NHKラジオで朗読を 聞き本を購入して読んだことがあり、懐かしく思いました。良くまとまっていて快適に読むことができました。
懺悔・懺悔・懺悔
昔に読んだような記憶があるのだけれど、はっきり思い出せないまま、読み進むにつれ、引き込まれて最後まで一気に読んでしまいました。
なかなか面白い小説であった。読んでいくうちに、どんどんひきつられていった。良かった☺
安易に死ぬのではなく、苦しみながら多くの人のために生きる。これが本当の罪滅ぼしなんだと教えてくれる作品だと思います。ましてや、その先何百年先の人々の役に立つのだという考えは、今の時代にも必要な考えだと思いました。
素晴らしい作品です。 涙が止まりません。
読んでいくうちに結末が予測出来るが、不朽の名作であるとうなずける。
懺悔した主人公を諭した和尚の心の深さに救われ、罪を償おうと一心不乱の主人公の姿に目頭が熱くなりました。主人公の行動に共感し協力してくれるようになった周りの人達や、最後の主人公と実之助の和解が素直に嬉しかった。本当に良い話ですね。