当時 萩原は ラスコーリニコフが ナポレオン的な 超人に なろうと イデアした思想の 哲学的な 心境が よくわかり 一層 意味深く 読み終えたという。昼は かの 大学生を 自ら 気取り 滑稽にも その 小説的な 風貌を 真似したり 夜は 夢の中に 老婆殺しの 幻影を 見たという。読書に 没頭し 血肉として 取り込む 真摯な姿勢に 感銘を受けた。
初めてドストエフスキーを「読んだ」年齢としては、27歳は「遅い」。ドストエフスキーが「分かる」年齢としては「早い」。 じっくり、腰を据えて読まなければなならい作品が「カラマーゾフの兄弟」であり、「罪と罰」である。 カラマーゾフは恥ずかしながら、マンガでしか見てないし、罪と罰は途中で断念した。理由は、長すぎるからだ。 だから、トルストイのクロイチェルソナタなどに浮気をしていた。読みやすさはトルストイだ。内容は忘れたが「人は何故生きるのか?」とかも読んだ記憶ある。学生時代はおそらく励みになっていたのではないか? 朔太郎はトルストイが嫌いなようだが、ドストエフスキーは不良ぽいので、わからんでもない。人道主義なんて言われても嘘臭いし。教師に隠れて煙草を吸うスリルと快感がドストエフスキーを読むことに似ている。学級委員になることはトルストイ的だ。 自分は不良にはなれなかった。
ドストエフスキーから心理学を学んだらしいが、罪と罰にどんな心理があるというのか?ラスコーリニコフは殺人犯だ。懺悔をしようがキリストに祈ろうが罪に対しては刑罰があるだけだ。 絶対に希望などない、刑罰だけが確実で