雙喜 突然変異 なので なにが 起こったのか グレゴールは 理解するのに かなり てまどったのは むりも ない。ひるがえって ゆるやかに 死に 向かって 衰えて いかざるを えない 場合は 視力が 衰え 聴力が 衰え 筋力が 衰え 歯も 衰え 消化する 力も 衰退し 日々 失った 力を 偲ぶことに 高齢者は やむなく 専念 しなければ 生き抜いて いくことが 難しくなる。勿論 周辺の 手助けで まだまだ できると 虚しい 虚勢を 張る。起き 上が ろうとする 苦心惨憺 立ち 上がろとする 意気込み グレゴールの 悪戦苦闘は 終期 高齢者に 向けての 力強い エールの 交歓の ようにも 想えて くるのである。困難に 雄々しく 立ち向かっている 愚痴も こぼさない 皆さん 老いも 若きも ともに なんとか 乗り越え やり過ごそうと 老爺心 ながら 心を 決めた。
もし家族のひとりが虫になったとてそれが家族という、姿は代わりしとも血縁の関係であるがザムザ夫妻やその妹はそれ以上の嫌悪感をグレゴールに寄せていたと思う。 だからこそグレゴールが死んだ時には微笑がこぼれていたり、陽が射していた描写がされているんだろう。 そのグレゴール自身も家族からの嫌悪感を感じていてなるべく家族の気を立てないように暮らしていたけど皮肉にも全てマイナスの方向へ進んでしまう。ザムザ夫妻は疲れからか、不幸にも黒塗りの高級車に追突してしまう。後輩をかばいすべての責任を負った三浦に対し、車の主、暴力団員谷岡が言い渡した示談の条件とは・・・
面白かった。けど理不尽と言うか、それでも家族は最後に希望に満ちたけど、それも哀しく感じたかな
世界的な名著「変身」。初めて通読してみた。感想としては、まず、面白かった。つまり、己の実存とは?自己のあり方とは何か?という作品であると解釈でき、主人公の存在意義と、周りの人間関係、それらを残酷なまでに打ち砕く作品となっているように思う。ある意味でエヴァンゲリオンだ。 一度目に読んだのは中学生の時。そのときは、毒虫の描写が恐ろしくて、夜眠れなくなってしまうから、途中で読むのを辞めてしまった。今は毒虫の描写は恐ろしくはない。むしろ、毒虫でないのにあれほど迫害されてしまう方が恐ろしい。ああ、まさか、死んで「神様に感謝できる」などと言われるとは。だが、家族愛などというものは、これだけのものであって、つまり 絶対的な真理として存在するのではなく、あくまで環境によって形成されるものだと言われたほうが、納得はできる。老いた女のような態度で接してやればよかったのだ。兄としてではなく、無害な化け物として。 けれど、妹の音楽を愛する心は、 父親よりも、同居人よりも高尚であったのに。そこだけは悔しい。確かに彼は動物ではなかった。やはり気高さなどというものは、人間の理性というものは、アイデンティティとは、環境によっていくらでも崩壊するのだ。逆転劇が存在するなら、このような類の話も存在する、それだけのことだ。 ここから、愛などない、と考えることもできるだろうが、仮に愛されて「しまっても」グレゴールは懊悩しただろう。さっさと家を出て、道端で何も考えぬまま、踏まれてしまえばよかったのだ。愚か者。 それにしても、父親と妹が大げさにかばい合う場面は、己の実体験でも思い出せるようなことがあったため、共感できた。 俺は、家族が非道だとは思わない。グレゴールに同情もしない。ただ、彼が死ぬときには、音楽学校に入った妹のヴァイオリンの演奏を聴かせてやりたかった。
これ、10年近く勤務した会社で、内部告発窓口に実名で、関係者に予告して相談した当時に青空文庫で読んだ。 この不条理さが身に沁みた。 若い頃によんだ「審判」も蘇った。 やはり私が人間が生きるヒントは古典の中にあると思い返す。 他にも、古語の枕草子を読んで気分転換をはかったが、漢文とか哲学とか若い頃の思索は生きる芯として重要だと実感した。 暗記じゃなくて、魂の奥底に刻み込まれたもの。 欧州芸術の表現の多様さの奥深さを心底味わうには、一人の人間の人生の長さでは足りないと痛感する。 コトバそのものの習得過程でハンデが大きく、翻訳文しか知らないと世界が広がりにくい。 若い頃にみた映画「刑法第39条」の鈴木京香さん演じる精神科医の名前が「カフカ」さんだったかも。 京都上京警察のPにひどい目にあった前後に予告編みたら、俳優さんが私の記憶と齟齬があったから、いつどこで垂れが観るかで変容あるだろうね。 事実は小説より奇なり。 法の支配がぶち壊れた魑魅魍魎が巣くう日本における精神鑑定と刑事司法の悪用は、人間への致命的な不信感を不可逆的に増幅させるね。 日経電子版で古語を醜悪化して非代替性なのに売り物にして貶める計画記事載ってた。2023.3.10 2:00 OSSの悪用フリーライドも酷いのではないか? 貴重な古典を不快なコンテンツに変えて便乗荒稼ぎは、現代の奴隷制度と批判されている仕組みさえさらに深化させて悪用する最悪の商売だね。
やはり人を人たらしめるのは他者との繋がりであり、それを失ったときに人は己の魂を失うのだなあとグレゴールの最後をみて思う。
朝目覚めると毒虫になっていた主人公はその姿に困惑するよりも、セールスマンとしての仕事の心配をする。現実世界において、仕事や学校が原因で自殺してしまう人々に対して私達は「どうして逃げないのか」と思ってしまいがちであるが、実際には自分自身のことよりも社会的な立場を優先して考えてしまう人というのは多いのかもしれない。 また、自身が可愛がっていた妹に最終的に見捨てられるという皮肉めいた結末と、自分自身でもそのことを受け入れる「空虚でみちたりたもの思い」というのが印象的だった。
奇妙で切ない話だった。グレゴールが最後まで人間の意識を持っていると気づいて貰えなかったのが大きいと思う。誰にでも精神病や事故による昏睡などでグレゴールとその家族のような関係になる可能性があるのかもしれないと考えさせられた。自分の意志を伝える手段を無くし、一方的に気持ち悪がられ腫れ物のようにあつかわれることは相当しんどいだろうなと思う。
目が離せなくて一気に読んでしまった。 フィクションのようなことが現実には決して起こらないという確証はない。もしも、私もグレゴールのように、朝目覚めると自分の体が虫になっていたら…と想像しながら読み進められ、心地よいゾッとした感覚があった。 グレゴールの気持ちは勿論のこと、家族や他の登場人物の気持ちもよくわかる。我々読者と彼らとの唯一にして最大の違いは、グレゴールの心の内を知っているか否かということだ。 コミュニケーションが取れるかどうか、何を考えているのかを知れるかどうかによって、ここまで(仮にも同じ相手に対する)扱いは変わるのだということをまざまざと思わされた。 清々しく希望に満ちたエンディングは皮肉なのか、家族視点から述べた純粋な喜びなのか。 どちらにせよ、その結末によって物語の魅力が数倍上がったように思う。
不朽の名作の名に相応しい作品でした。
理不尽な出来事に遭遇しても、初めはいつもの日常を送ろうと奮闘するグレゴール。 が、信頼している家族から恐れられ、隔離されたことによる孤独感、絶望感に、緩やかにグレゴールは死んでいく。 突如、自分の身体が虫に変わっていた……という内容自体はフィクションであっても、登場人物達の心理や行動にはとてもリアリティがありました。 私自身、自分の意思を表現し、伝える事のできる「今」だからそこ、日々を精一杯過ごしていきたいと感じました。
グレゴールの変身は、まるで精神疾患や肉体疾患、犯罪などの、ありとあらゆる喜ばしくない状況に家族の働き手がおかれた場合として見ることが出来るように思いました。 ただ変身が特にそれらと異なるのは、本人が意思表現が出来ないこと。意思を人に伝えることが出来ないこと。 逆に言えば、意思を伝えられない状態になれば、容易く人の尊厳は侵食されるのだ、ということを示しているようにも思いました。 日本では激しい自己主張は倦厭されますが、自己主張しなければ容易く踏みにじられる現実もあるのではないかと、考えさせられました。
初めて読んだ時はグレゴールがとても可哀想で、酷い家族だと思った。 もう一度読もうと思ったのは、これがグレゴールが虫に変身したのではなく狂人、または犯罪者になったとしたらどうなんだろうと思ったからだ。 昨日まで普通の家族と思っていた息子の人間とは思えない姿を見てしまったら…。
グレゴールが変身したその日から家族の邪魔者になり、とうとうグレゴールが長男だったことすら邪悪な夢だったかのように毒づかれ、グレゴールが死んだ後、晴れ晴れとした気持ちで新しい住居を探す一家。そうだろう、家族の一人が、会話もできない虫になったなら。
障害者、要介護者とも確かにとれるけど… 自分の親が毒親と気づかぬまま大人になってから人生に躓いた、そしてそれにより自分の家が機能不全だと気づき自分の人生も諦めた子の話かなと思った。やっとこさ最近毒親とか言われ始めてきたのにこれが書かれた時代を考えるとすごい先取りしすぎてるなぁ。 うちもぱっと見普通の家庭、でも毒親。前にまぁまぁ人生しくじったときにそれは酷い言葉を浴びせられ酷い扱いをされたもんだけどその時を思い出した。今も家のカーストでは最下位だけど。 作者これを笑いながら書いてたらしいとか言われてるわかる気もしなくはない。本当笑えてくるよね。 自分は家族にどう思われてるんだろう。まだギリギリ人の姿をしてるしそう扱われてるけど。いつ自分はグレゴールになってもおかしくない気がする
これまで当然のようにそこにあった家族の絆が、「わかり合える」という錯覚のもとに成り立っていたのだという現実を突きつけられたのが辛かった。 愛情を注ぎ合い、大切にしてきた家族から、自分が自分だと認められない、言葉が通じない、見た目だけで恐れられる、感情をもつと思われない…グレゴールに突然降りかかった事態は、言うまでもなく、悲しい。「家族だから」という理由だけで大切にできたことが、「他者だから」という理由だけで全く理解されなくなるのである。 しかし、家族を責めることも出来ないと感じるのは、自分も、相手と共有できるものがなければ、理解できない他者として排除しようとする部分があるのだと認識しているからであろう。愛というものは、一種の思い込みだけで成り立っているだけのものなのだとも思わせる。 グレゴールがある日突然変身するというショッキングな事態以外は、実に淡々と進んでいく本作品。分量もそれほどあるわけではないのに、読了後は、愛とは、家族とは、相手を尊重することとは…‥等、普遍的な生きていくうえでの課題を突きつけられたように感じた。
自分を追い詰めすぎてこのような結果になったのかと思うと切ない。 家族への想いは変わらないのに、だんだんと人の心を無くしていく主人公の心情も不思議とすんなり受け入れられた。 人を助けようと自分を使い果たし麻痺してしまうと、結局はいつの間にか自分のために自分を追い詰めて皆離れていってしまうのだ。 現実でもそうじゃないかと感じた。
家族の中に障害者や寝たきり老人を抱えた状況を暗示させるような感じでした。でもグレゴールだって好きで虫になったんじゃないし、理解するのは簡単じゃないけど、本当の幸せとはなんだろうと考えさせられた。
不思議な物語。決して誰かが救われるとかドラマティックな展開があるとか、大袈裟な悲劇でもない。 グレゴールはある朝突然大きな虫になって、そのまま戻ることなくしぬ。 その様を描いている。 とても読みやすかった。最後に不思議と希望に満ちているのが、また何だか悲しい。グレゴールとは家族にとって何だったのだろう。
全く他人事ではない