「創作の心理について」の感想
創作の心理について
そうさくのしんりについて
初出:「文章世界」1917(大正6)年1月

和辻哲郎

分量:約10
書き出し:一我々は創作者として活《はた》らく時、その創作の心理を観察するだけの余裕を持たない。我々はただ創作衝動を感ずる。内心に萌え出たある形象が漸次醗酵し成長して行くことを感ずる。そうして我々はハッキリつかみ、明確に表現しようと努力する。そこにさまざまの困難があり、困難との戦いがある。しかし創作の心理的経路については、何らの詳しい観察もない。創作の心理は要するに一つの秘密である。しかし我々は「生きている。...
更新日: 2016/12/03
芦屋のまーちゃんさんの感想

創作は実体験のみによって、なされなければならぬのか?生きる事が表現する事と和辻は言う。感動や衝動、喜びなどを愛する者に伝えたいという高まる意志のようなもの。内から湧き出すエネルギーがなければならぬ。創作はフィクションではならぬようだ。「生きること」と「生きるために金を稼ぐこと」とは異なる。創作のための創作。太宰などの作品における少なからずある駄作の類が当てはまる。しかれば、創作とは対価を求めず、無償のボランティアにすぎないのか?和辻の「風土」の印税たるやどこへやら?自分の創作を世間に出すには、昔は編集者の厳しい目を通った出版という方法しかなかったが 現代では、SNSなどの手段がある。但し、SNSはボランティアである。その意味では人に伝えたいというインパルスのみで構成された「創作」と言えるかも知れない。 〔以下、私の創作〕 現在、過去、未来を弁証法的に考えることはできないか?つまり、過去というテーゼがあった事実はデカルト的に言っても疑いようがない。しかし、現在は過去に対してアンチテーゼと言えないか?過去の不幸と今の不幸は全く状況は同じか?もっと不幸か少し幸せになったかのどちらかの変化があるだろう。あるいは、行く川の流れを方丈記的に考えてもいいだろう。現在をアンチテーゼと定義できれば、アウフヘーベンするだけだ!未来は高次の立場へ向うジンテーゼとなるのだ。