同じ作者の志賀直哉ベタ褒め作品を 読んでから読んだ 憧れを感じた
芥川の 老人が猫を相手に口説く練習をする小品を 思い浮かべた。 菊池は 大変な競馬狂だったと聞く。 何か 人間の性(さが)のようなものが感じられる。 嫌いではないと思った。
ほっこり
本題『勝負事』から、そして競馬に一家言を持つ作者の作品である事から、読み始めは、恐らく競馬に関する話と思い、読み進めた。読了後、何か肩透かしを喰らったような感じがした。競馬の話は残念ながら皆無である。しかし、何となく情景が浮かぶ。思い浮かぶ情景を反芻していくうちに、「過ぎたるは、及ばざるがごとし」という言葉が、浮かんでくる。本作品は、作者の勝負事に臨む人への、ささやかな贈り物なのであろう。
子どもは生意気なものだ。と親になって思うが、子ども時代は親に対して勝手に産んどいて「家は貧乏だから駄目だ!」と何をするにも否定的言葉しか返ってこないことに憤りを抱いたものだった。だから、子どもたちには最低限度の子どもらしい経験はさせるのが親の義務だと思う。修学旅行に行けないなんて親失格である。貧乏人は子どもを産んではならないと思う。「恨むなら、祖父を恨め!」というのも責任逃れである。自分の苦労を子どもに継がすのか!自分に経済力がついて初めて子どもを持つべきだ! 博打で身上を潰した祖父は勝負事のセンスがないのだ!そのセンスレスの子どもが親となったのだから、その子どもが幸福の訳はない。 勝負事は何も博打の世界だけの話ではない。人間社会は常に戦いである。勝たなければならない。子どもたちの為にも。
菊池寛の勝負事阪神、菊池寛の祖父はかつて庄屋で裕福な農家であったが、賭博に溺れてしまい、貧乏人になった。祖母の死際の遺言に従ってそれ以後賭博はしなくなったが、ただ一度だけ、賭博をした。その相手が私菊池寛。
この人の作品は奇をてらわず素直に書いてあるので好きです。 短編ですが、修学旅行のエピソードの父、臨終の祖母、日向で孫と笑う祖父、家族の姿が目にうかぶ。