漱石の 作品は その 芸術の 結構(けつこう)から言えば 建築である。すべての 細部は 全体を 統一する力に 服属(ふくぞく)せしめられている。和辻は このように 見立ててみせる。これを 手懸かりに 帰納的に 演繹的に 作品を 味わうと 理解が より 深まるようだ。自戒の 言葉としても 身に染みた。
『猫』から始まる九章以降の夏目漱石作品に関する語りがとても面白かったです! 十章は漱石作品における恋愛について語られています。漱石作品に未読のものが多い私には、大変参考になりました。 漱石を慕う和辻氏は、『こころ』の“わたし”を想起させますね。約100年前に書かれている論評だと気づいて沁みました。
夏目漱石の作品は知っているようで知らない。「こころ」くらいしかじっくり読んでいない。今更、漱石を読むのは抵抗を感じるのは何故だろう?和辻がいうように漱石は不正を嫌う優等生的なイメージがあるので青春時代に読まなければならぬもの、教科書的文部科学省的に姿勢を正さなければならないからだと思う。太宰は今でもいつでも読めるのに、漱石は私にとっては敷居が高い。
夏目漱石の姿を間近に見た者の貴重な意見であり、胸を震わされた。生涯、潔癖で孤独な人であったのだ。