フロベニウスの 『アフリカの文化史』という 著書の 読後感を 書き手は 伝える。 中世末に 欧州の 航海者が 初めて ギネア湾の ワイダの 辺りに 上陸し 街道が 切れ目なく 街路樹に 包まれており 畑に 覆われた 土地が 続き 住民は 土産の 織物で 作った 華やかな 衣服を 着ている。コンゴー王国では 絹や ビロードを 着た 住民が 住んでいる。 十五から十七世紀にかけて ニグロアフリカに 調和的に 形成された 文化が あった。米の 新しい 土地が 奴隷を 必要としたため 破壊し 去った。しかし 人身売買は きがとがめるので ニグロは 半ば 獣と 決めつけ 呪物崇拝を でっちあげた。 この考えは ヨーロッパの 作り事である。彼らは 奴隷種族であり 未開民族と 決めつけた。 「アフリカ的なるもの」は 合目的的、峻厳、構造的である。これらの 特徴は ニグロアフリカの あらゆる 文化産物に 現れている。アフリカの 民族は 快活で 多弁で 楽天的であるけど しかし その精神的な 表現の 様式は 真面目で 厳粛である と 説く。 アフリカの 高い 文化は すべて イスラムに 起因するという 迷信は 近頃 やたらに 本家本元を 強引に いいつのる 頭の中が お花畑の 国々にも似て 苦笑い させられると 想った。
参考になりました。
「アフリカ文化史」という本の感想文である。感想文の感想文を書く、のはそもそも元本を読んだこともないので、和辻氏の指摘が正しいのかわからない。 しかし、そのname valueからして、正しいハズである。 アフリカ民族は楽天的だが厳粛だそうだ。真面目ということは、ある意味、日本人と相性が良いかも知れない。 日本人が楽天的というイメージは世界から見られてないので、真面目同士、一方は楽天的、一方は悲観的?の関係はバランスが良いのではないか?と私は思った。
アフリカの文化とは?と自問自答を試みても全く答えが浮かばない。海外旅行の行先はヨーロッパかオーストラリア、あるいはアメリカ。金と時間がなくて、韓国辺りで勘弁するか!わざわざアフリカに行こうとは思わない。何故か?それはアフリカのイメージが野蛮な未開の地でしかないからだ。ユニセフのイメージもあって、貧困の国だ。大航海時代前のヨーロッパ思想のままだ。もう少し、アフリカなどにも目を向けなければならない。ギリシャやローマの文明にも負けない知恵がそこにはあるかも知れぬ。もっとも、ケニアのナイロビなどは超高層ビルが立ち並ぶ大都市のようなことは何となく知っている。東京と同じで偽物文化だ!