父親が魯山人はすごいとか言ってたので、何がすごいのやらと思って試しに読んでみたら、確かに言っていることが無知にすら見える現代の教授やらお偉いさんよりとても理(ことわり、り)にかなった事を言っている。食の多様化が進みインスタントで食べられる料理、学歴社会…多種多様な世界の料理を簡単にインターネットで取り寄せることが出来たりと色々時代は変化していってるが、人の感覚というものはそう簡単に変わらない気がしている。 大学は学ばせられないと勉強しない人がいくものという価値観は、大変に興味深い。 確かに社会に出れば、タダで学べることはまず少ない。現場の場数を踏み、自分で情報をかき集め、自分で色々現場が分かる様になり考察し判断し学んでいかねばならないことが増える。 例え上司や社長というものがあったとしても、結局は自分が学んでいかなければどうにもならない時、自分が積極的に仕事をしなければならない時が出てくるのである。それを超えるか超えないかは学ばせられないと出来ない人には出来なかったりして、学ぶ人、学べる人にはなんとか出来たりするのである。 学ばせられる人と学ぶ人は別物と魯山人さんもきっと気が付き、 個性の理解の正しさには感服させられた。
書き出しからユーモアがあって、面白かった。 と、ここまでは感想が出たのだが、その後の「型」の話のはなんとも言い表せない。 書かれていることの意味はおおよそ理解できるのだが、自分でうまく噛み砕くことができない。 私が(完全にではないが)型にはまった生き方をしているからか、その生き方を多少なりとも羨んでいるからか分からないが、どちらにしてもなんとなく感想を書き出すことを自分が拒否しているような気がする。 自分の人生を否定された気がするのか?そこまで強く書かれてないのだが。どちらかというと被害妄想の域に入るのだが。 難しい、難しいと頭をこねているが、変に考え過ぎかもしれない。型から一歩飛び出せと、伝えているだけかもしれない。 5ページから8ページまでのたった3ページ。とても長く感じた。 個性については、頭では理解はできた。おそらく本質的にはまだだが。
人も料理も型にはまってはいけないと言うこと。
この作品には、「食品、料理」というカテゴリー分けがされている。 「北大路魯山人」という人が書いたものであるし、確かに食べ物の話し、料理の話しではある。 しかし、魯山人の言わんとするところは、その向こうにある。 彼はこの作品で、食べること、料理をすることの向こうにある「人間というもの」について述べている。 魯山人の人間観がうかがえる当作品、是非読んでみてほしい。