大男の爺は、最早、曾て自分が生活に苦しんでいた時代の同志だと考えても良いのだろう。それゆえ自分と同じく疲弊していた爺が切符切リに〈出世〉したことを我が身のように嬉しく感じたのだ。共感した。
下足が出世して閲覧券売場の窓口にいた。一生下足は下足と哀れんで、しかし、蔑んで一歩高い所から見ていた。 ところが、出世していたのだ! 期待を裏切って、喜ばしいことだ! どんな人間にも希望はあるものだ、という教訓。
菊池氏の作品は興味がなかったが、 「父帰る」を読み、そして本作品を読み魅了された。 下足係がわずかでも出世していたことの安堵感たるものわかるわかる! 自分より不幸な者を見て、自分を慰める気持ちもわかるが、すべての者が幸せになって欲しいという思い。 わかるわかる! わかる小説! キクチカンの小説をそう定義したい。
自意識過剰な主人公。でも人の幸せを喜べる人になった。人はそうなって初めて、自分が満ち足りていると分かるのかもしれない。
菊池寛の出世は譲吉が見た下足番の爺がいつの間にか出世していることを内心喜んでいる話。
後半の下足番の男の話が印象に残った。出世で快活を取り戻した男に幸せが訪れたのは本当に良かった。