「河豚は毒魚か」の感想
河豚は毒魚か
ふぐはどくぎょか
初出:「星岡」1935(昭和10)年

北大路魯山人

分量:約9
書き出し:ふぐの美味《うま》さというものは実に断然たるものだ——と、私はいい切る。これを他に比せんとしても、これに優《まさ》る何物をも発見し得ないからだ。ふぐの美味さというものは、明石《あかし》だいが美味いの、ビフテキが美味いのという問題とは、てんで問題がちがう。調子の高いなまこやこのわたをもってきても駄目《だめ》だ。すっぽんはどうだといってみても問題がちがう。フランスの鵞鳥《がちょう》の肝《きも》だろうが...
更新日: 2022/05/10
cdd6f53e9284さんの感想

こんなに旨い河豚を、いまだに(当時)危険視するなど、おかしいじゃないか、と魯山人先生はおっしゃる。 この文章のほかに、あと2点河豚の旨さと安全性を説いた随想を繰り返し書いているところを見ると、世情に行き渡っていた「河豚危険思想」の状態は、長期にわたって相変わらず維持されていたものと思われる。 小生も「怖くて食べない派」あるいは「怖いといわれているものを、わざわざ食べなくてもいいんじゃね派」だが、もちろん魯山人先生のお説ごもっともと首是するのに些かもやぶさかではない。 あくまで「説」としてだけどもね。 その当時も今も河豚を調理するにあたって専門の厳しい調理資格も必要だろうし、店の方だって中毒でも出したら、もうその時点で営業はアウトなのだから、細心の注意を払っているにちがいないのだが、しかし、魯山人先生が熱っぽく安全説を強調すればするほど、聞き手の方はどんどん覚めていき、内心「好きな人だけ勝手に食べてればいいんじゃないの」(そんなこと、わざわざ他人に強制するなよ)と、常人の食わない派が、どんどん引いてしまう感じが、魯山人先生の熱っぽさと対比すると、なんだか可笑しい。 この感じは、本文を読んでいる時にも感じた。 河豚を詠んだ芭蕉の句なのだが、魯山人先生は、「そうじゃないよ」という逆の効果を狙って引用したのだろうが、その意図は達成できたかというと、残念ながら俳聖芭蕉の句の前に見事粉砕、大いに挫かれたとしか見えない。 それが、この句だ。 河豚汁や鯛もあるのに無分別  芭蕉 危ないものをなにも食べなくたってねえ、という感じだ。 ちなみに鉄砲鍋、てっちりといわれるのは、あたるという洒落からきている。 生死のことを軽く洒落のめす江戸っ子は、やはり粋だった。 そこで、小生が愛唱したる秀句を二、三紹介しておこう。 河豚食ふや短き命短き日  高浜虚子 手を打って死神笑う河豚汁 矢田挿雲 鰭酒に唇しびれ愉快愉快  田倉稲生