「金沢の思ひ出」の感想
金沢の思ひ出
かなざわのおもいで
初出:「隼」1936(昭和11)年10月号

中原中也

分量:約7
書き出し:私が金沢にゐたのは大正元年の末から大正三年の春迄である。住んでゐたのは野田寺町の照月寺(字は違つてゐるかも知れない)の真前、犀川に臨む庭に、大きい松の樹のある家であつた。その松の樹には、今は亡き弟と或時叱られて吊り下げられたことがある。幹は太く、枝は大変よく拡がつてゐたが、丈は高くない松だつた。昭和七年の夏金沢を訪れた時、その松が見たかつたが、今は見知らぬ人が借りてゐる家の庭に這入つてゆくわけにも...
更新日: 2025/01/11
65c8aadc88adさんの感想

双喜 中也は 兼六園の 大和武尊の 銅像のしたで 落涙したと あるけど 郷愁は かくのごとく 美しいものである。詩人の 幼い頃の こころに 刻み付けられた 甘い 風景が 時を 経て 韻文に 昇華するのは うらやましくも 貴いと 想いいった。14:09

更新日: 2024/11/09
8eb05d040692さんの感想

最後の香林坊でへべれけになる、は昔も今もかわらない

更新日: 2022/04/13
19双之川喜41さんの感想

 冬になると 羽織を折りたたんで 兜にして 被る遊びがあった。折り方は 3通りあったが どれ一つとして 覚えていないという。散文なのに 詩味溢れ 行ったことも 無いのに 涙を おさえきれない  気持ちになった。不思議な 気がした。

更新日: 2018/01/04
尋ね人の糸さんの感想

金沢で幼稚園を卒園したんだね。 今は名称は変わりましたがまだ現存いたします、てかいい幼稚園に在籍してたなぁ、羨ましいよ…。 小さな頃の記憶って案外覚えてるもんだね。 いたずらしたら木に吊らしたって本当か? マッマ笑はんな危ない真似事してない、中也はいや吊るしただろ!って…この仁義なき幼少の恨みつらみは29歳の時 にも続いている。 今それやったなら幼児虐待だよぅ…。そりゃやられた方は永久に恨むだろう。 余談。プチ自慢・ところで私の名字も中原です。 多分血縁関係はないので、KinKi Kidsのようだ。 あまり同じ名字の人に出会わなかったので、初めて知った 時ようやく自分と同じ名字キタ━(゚∀゚)━!と嬉しかったもんだった。

更新日: 2017/12/28
3e2d4ca46d2cさんの感想

金沢生まれにとっては懐かしい。

更新日: 2015/11/13
126e1810859aさんの感想

鍔甚長い。