「人生の楽事」の感想
人生の楽事
じんせいのらくじ
初出:「時事新報」1893(明治26)年11月14日

福沢諭吉

分量:約10
書き出し:左の一編は十一月十一日、府下芝区三田慶應義塾に於《おい》て福澤先生の演説したるその大意の筆記なり。人には何か楽しむ所のものなかるべからず。旅行を好む者あり、閑居を貪《むさぼ》る者あり、遊芸を嗜《たしな》む者あり、書画骨董を悦《よろこ》ぶ者あり。尚《な》お之《これ》より以外には財産の増殖に余念なき者もあれば、功名利達に熱心なる者もあり。その他千種万様限りなき人事の運動は、浮世の人々がおの/\その心を...
更新日: 2020/02/12
1b3950ea6ddeさんの感想

『人生の楽事』福沢諭吉 を読んで 生きることはすべて学問研究に通づると思う。 生死の境はない。 自由について深く思う。 何故か絡みついてくる邪魔な要素、専念没頭できる環境を損なう阻害要素は、彼はそのことにまったくわかっていない。 なぜわからないのだろうと思えば、気づいたことがある。 それは、彼はその経験がないのだと思う。 あらゆる苦労要素に苛まれ苦痛を覚えるなら、彼はその気持ちに理解できるのだろう。 自由主義はそこに成り立つものだと思う。 歴史はすべて其を教えている。 其を知ることが成り立ちを知る基。 其のこと、成長した人の気持ちの不理解は、甘やかされたり捻られて育てられてたり、一種自閉症等の精神の病気の発症所以であると思う。 其の存在(人の気持ちが理解できない人の存在)教育を知り理解する人は、人の気持ちを理解できないひとによる行動関与や学習妨害を払い除けることができると思う。 ただ何もしなければ、繰り返される妨害から出来るであろう自由主義の目的を守ることは容易くない。 現代社会は精神疾患の方に慣用な環境で、あらゆる社会環境に満遍なく存在し、疾患と診断された人も完治するまでしっかり療養させ る制度がない。 ただ、自由主義は強く守らねばならない。 自由主義を守ることは国是とし、そうでない自由主義を認めない主義思想から、其の現実から自由を守らねばならない。 そう思いました。