正岡子規
子規の亡くなる1、2年前の平凡な日常が客観的に描写されています。この頃は立つことも出来なくなっていて病床で過ごしていますが、自分の運を嘆くこともなく、ただ淡々と赤裸々なまでに一日を綴っています。その姿勢は写実を重視した子規の俳句観に通じるのでしょう。また衰弱した体とは裏腹に彼の健啖ぶりには驚きます。それは生への執着なのか?