正岡子規
記者として 行っていたらしい 子規は 大連の港から 陰口(かげぐち)で 賄いが悪いので 梅干船と 呼んでいる 船に乗って 日本に 帰港した途端に コレラ患者が出たために 上陸の足止めをくらい その後 吐血しながら病院に 運び込まれる。 危篤の報が伝わり 高浜虚子▫碧梧桐が 病院に駆けつけたという。 昔は コレラ 今 コロナと想った。