現役の頃は生活に終われ精神的ゆとりが無いことは、誰もが感じるもんだ。老いてくると自分の存在がどれ程のものか解ってくる。そこに心の余裕も生まれてくる。別にお金を使わなくても安息の時間は作れる。年をとるのも悪くない。
現代はもっと慌ただしく過ごしており、文化の余裕なんて感じられない。果たして太平の世といえるのだろうか。情報だけではない映画音楽娯楽までありとあらゆるものを最速で時短で結論だけ知ろうとする。観照がない。咀嚼しないで味わわないでただ飲み込むだけ。たまにはお茶をしながらのんびり読書といきたいものだ。もちろんお代わりを頼んで。
珈琲ではなく紅茶、と言う記述が目に留まった。このessayの内容には関係性は無いとは思われるが、このどうでも良い記述に実は大いなる意味があるのではないか?と邪推しているところだ。朔太郎が紅茶党だった、とか言う史実はありやしないかしら?
江戸時代の、風俗に現代の法律を考え、作品の貴重な事を覚えました。
喫茶店という議題で日本のあり方について考えさせられるとは思ってもみなかった
短文ながら、齷齪とした都市の雰囲気に対する警鐘は効果的であったように思う。老舗の喫茶店や公園、広場といった、直接的に有益とは言えない空間こそ、重要な役割がある。陰陽説ではないが、生物学的なメカニズムからして、動物、植物問わず、休眠、休息、睡眠の果たす役割は少なからず、それは心とて、同じことである。都心に土地がないというのなら、せめて、ヨーロッパでは至極当然の長期休暇に長閑な田舎でゆっくりすること位は認められて然るべきと思う。
昔からこんな感性はあったのだなぁとシミジミ思えるものでした。
あくせく働き蜂気質は日本人の特質なのか、お国柄なのか。 自分とは違う時代の人が書く極々短文に、色々と考えさせられたり学んだり。 青空文庫って凄いなと改めて思いました。
確かに、昔の話なのに。 今の日本人も忙しいよ。 閑散のある生活が出来るといいね、 それは昔と変わらないみたいですね日本は。 太平の世が来ることを願っています
可もなく不可もなく (16)
確かに喫茶店の楽しみ方は千差万別だよね。パンケーキの為に何時間も並んだり、わざわざ仕事を持ち込んで珈琲を飲む現代では、ここで言われてる『太平の世』はまだ遠い気がするなあ。
喫茶店でのんびりしたいです。 のんびりしたいです。
「文化の伝統が古くなるほど、人の心に余裕が生れ、生活がのんびりとして暮しよくなる。」 なるほどな、と思う。確かに、時代が進むほど、人の心からは余裕が消えて、生活がのんびり、とは言えなくなる。どんどん、どんどん人はせかせかと進む。これにはお国柄も関係あるだろうが、今を生きる身としては、「大平の世」が恋しいものだ…。
過労死という言葉があるのは日本語だけだそうだ。5日ある働く時間を2日で癒せと言われてもできるか、あほ。 とあるゲームから作者を知って読んでみた。思っていたより読みやすくて他の作品も読みたくなった。なまにえ
何故だろうか、かなり古い話である筈なのにまるで今日の日本の情景のようにしか見えないどころか、更に状況は悪化の一途のように感じてしまうのは悲観論者の性なのであろうか? 文化などの概念に冒されていなかった頃の日本人の方が遥かに文化的だった事は民族的な自尊心をかなぐり捨て去り、西欧に対して精神的な敗北から立ち直れない愚かな末裔の背負うべき業苦なのであろうか? 我々日本人も日本人としての今後の有り様を真剣に考えるべき時期であると気付くべきである。 退廃的で自堕落な現代人にも、全うな考える能力が残されている事を祈るばかり。
この文章の書かれた時代においてさえ、喫茶店の持つ文化的余裕度が、日本では低いことが嘆かれている。 この30年、喫茶店そのものの激減とともに、喫茶店で過ごすという文化的、精神生活的余裕度は…。 確かに今の日本の文化的余裕度は、チェーン店化されたルノアール程度のものなのかもね。
人生65年を生きて、今、毎日が日曜日 、忙しく生活している人達には夢のような生活に想えるでしょう。しかし、毎日が晴れや雨、曇りや強風が吹く日で有ったなら、人間は直ぐ慣れて感動が無くなってしまい、退屈な日々に 成ってしまう。喫茶店も高度成長期に忙しく働き希望の見えた時代には、オアシスのような心安らぐ時間空間であったのではと想う。24時間をどの様に生きるかにより、その時間が輝くのだと想う。
オンとオフの切換をうまくやりたいが、なかなか難しい。 喫茶店に入っても、外の風景や道行く人々を観察するより、仕事のことを考えたり、スマホでビジネス関係の記事に目を通したりしてしまう。 コーヒーに注ぐクリームの白い渦を見ながら、ため息をつくのだ。 「もう帰りたいオフトゥン」
余裕か…確かに 今の世は萩原朔太郎氏から見れば「ひどくなってる」だろうな なんせ「贅沢」をするにも「余裕」をするにも言葉に似つかわしくないほど人は憔悴しながら行い、SNSなどで見せびらかさなければ満たされない者が多いからね 迷惑かなとせかせかするより、リラックスしながら珈琲一杯を幸せそうに飲んでるほうが周りも落ち着くのだろうにね
「余裕のある閑散の生活環境」か! あやかりたい。さて喫茶店でコーヒー一杯で何時間も過ごす、とは店主にとっては甚だ迷惑な話である。客に余裕があるというより寧ろ店主にも余裕がなければそもそも喫茶店など成り立たないだろう。忙しさは東京と大阪のどちらが上だろうか?本文では大阪商人と判定している。遊び心は関西の方があると思うが・・・・・・・・・・如何に??