死刑執行の 立ち会い人は 立会後に 何が 思い出せなかったのか。思い出したくも なかったのは どの 部分か。自分自身を 分析的に 見てはいるけど 衝撃的な 出来事の 直後だけに 判然とは しない。わたしには 心理描写が 巧とは 思えず 月並みの 作品と 想って しまった。翻訳にも いくつか 疑義が あると いわれており この 翻訳文は こなれてない ようにも 感じた。
青空文庫にアップされているアルチバシェツフの作品のうち「笑」と「死」は、鴎外選集15卷「諸国物語」の中に掲載されていたので承知していたが、この「罪人」という作品については、まったく記憶にないので調べながら読んでみた。 検索の結果、「罪人」は、選集の16卷か17卷の「翻訳小説」に収載されているらしいことが分かった。 それにしても、鴎外は、海外の文学事情を発信した「椋鳥通信」をはじめ、かなりの数の外国文学を翻訳して日本に紹介しており、それだけでも感心する。まさに偉業だ。 こうした旺盛な外国文学の紹介者がいなければ、芥川龍之介など優れた後進の出現も遅れ、日本の文学史は、もっと違ったものになっていたに違いない。 さて、小説「罪人」を読んでみた。 なるほど、面白い。 裁判で死刑判決を受けた囚人の死刑執行の現場に立ち会う小心な男の話だ。 なぜ立ち会ったかというと、男の裁判に陪審員の一人として審理に加わり有罪の評決に加わったからだが、お偉いさんに混じって国家行刑の末端に立ち会う自負と誇らしさがあるとはいえ、死刑執行の現場を見るのは、やはり恐ろしい。 いかに悪人とはいえ、人が目の前で電気椅子に縛り付けられ、強電流を体内に流されて苦しみながら死んでいく過程を逐一、見届けなければならないおぞましさからは、逃れられない。 臆病で小心な男の恐怖と戸惑いを通して、この小説は、如何に犯罪者とはいえ、人間ひとりの命を奪うことの重大さを描いている。 ウクライナで、今もなお子供を含む多くの人たちを無差別に虐殺し続け、さらにその廃墟の中から家具や電器製品をこそこそと略奪しているロシア人にも、こういう作家がいたことを心の隅に留めておきたい。 鴎外選集の解説には、こう記されていた。 ❮粗野、蛮勇、無秩序が支配する大平原の生活のほかに、ロシアには、もうひとつの顔がある。 政治体制による生活の締め付けと、民衆の因習と、思想の世界の狭隘とに悩む、神経質な、怯えた、小心な市民や俗吏からなるロシアの社会である。 アルチバシェツフの描くロシアの都市生活は、若干の歪みを加えて引き写しにした明治四十年代の日本の社会の「時代閉塞の現状」であるともいえよう。 翻訳という行為も、実は他者の言葉を借りての間接の自己表現であるという見方もあるが、そのことに思いを致すならば、ここには、「沈黙の塔」や「食堂」を書くのと同じ鴎外漁史の顔がのぞいているのである。❯ 先に自分は、記憶に留めておきたい作家だと書いたが、彼が最後まで「ロシア人」であったかは疑問だ、十月革命を逃れてポーランドに亡命し、ワルシャワで死去したとある。現在でも250万人のウクライナ人が避難しているあのポーランドだ。 ❮社会的革命の傾向にある周囲の現実には背を向けて、もっぱら「個人」の主張、ことに恋愛の自由、性愛の解放を唱えた。 また、その作家的才能は非凡で、文体は美しく、力強い。 彼の反動的傾向は、第一次革命後に顕著となり、極度に革命を敵視し、厭世的となり、現実逃避へと向かっていった。 社会的視野の欠如が、この有能な作家を成長させなかったといえようか。 代表作は、いずれも性愛を礼讚したもの。ことに「サーニン」は、《肉の聖書》呼ばれた。❯ プーチンや習近平の最も嫌うタイプの「ゴミ野郎」であったことは疑いえない。 この作品が、丸山建二の「夏の流れ」や大島渚の「絞死刑」に影響を与えたのかどうか、後日必ずや解明されんことを切に願う。