「自分で困った百姓」の感想
自分で困った百姓
じぶんでこまったひゃくしょう
初出:「読売新聞」1920(大正9)年10月6~8日

小川未明

分量:約6
書き出し:一ある田舎《いなか》に、二人《ふたり》の百|姓《しょう》が住《す》んでおりました。平常《ふだん》はまことに仲《なか》よく暮《く》らしていました。二人《ふたり》とも勉強家《べんきょうか》で、よく働《はたら》いていましたから、毎年《まいねん》穀物《こくもつ》はたくさんに穫《と》れて、二人《ふたり》とも困《こま》るようなことはありませんでした。あるとき、甲《こう》は乙《おつ》に向《む》かっていいました。...
更新日: 2016/05/06
芦屋のまーちゃんさんの感想

他人に振る舞う精神とは如何なるものか?上の子供がまだ幼稚園に通っていた時、お友達に飴玉を配っている姿を見て微笑ましく思った。やがて、泣き出して母親の方に走ってきた。話を聞くと、どうやら、みんなに配りすぎて自分の分が無くなってしまったようだ。何とも滑稽ではあるが、隣人愛とはそう言うものかも知れない。無心の精神。見返りとか損得勘定とか存在しない。見習うべき行為だ!