古事記が 推古天皇で終っているのは 材料とした(帝紀)が ここで終わっていたことによるとある。 壮大な神話は 気持ちを大ぶりにしてくれる。 上中下に別れ 各七なので、二十一となる。 通読▫精読にこだわらず 好きなところから読めば 知ってる話に出会うかもしれない。 それぞれの 性癖にあわせ ささやかな理解力にも 寄り添い 語り継ぐと感じた。
「できすぎた所」を 「でききらない所」に さして 国をつくる 性交をそんな風に表現するなんて、 凸凹と男女を見ていたんでしょうねキット。うーん、想像すると、何かイヤらしいわね!下手なAVより感じちゃうわ。 八百万の神というくらいだからやたら神が登場してギリシャ神話より複雑だ。神社でも祀られる神がそれぞれで違う。民主主義的というか分業制度が充実しているというか、拝む側が選択しないと御利益がないということなのだ。主、イエスキリストはミッキーマウスのように一人なのだ。どこの教会においても。その意味ではキリストは超多忙でよく過労死しないのか不思議だ。 もちろん、古事記を通読などしてない。最初の2~3頁を読んで断念した。 ところで、アメノミナカヌシ神どうやって生まれたのか?