「人間性の深奥に立って」の感想
人間性の深奥に立って
にんげんせいのしんおうにたって

小川未明

分量:約6
書き出し:私は学校教育と云うものに就ては、現在の状況からすると小学校のそれに最も重きを置く。それは今日の状態にあっては大学及び其の他の専門学校と云うものは殆んど民衆にとってはこれと云う貢献がないと信ずるからである。何故かと云うに一般民衆にとって大学教育を受くると云うことは経済的に殆んど不可能の事であるし、今一つは大学教授と云うような人は自分の専門的の学科には忠実であろうが、学生の人格の養成や、或はどのような...
更新日: 2016/07/29
芦屋のまーちゃんさんの感想

学校教育は小学校の課程が一番重要である、という彼の意見に基本的に賛成である。更に言えば、中学校課程も含めた義務教育が大切だと私は考える。 彼が言うように、大学がブルジョアジ学生によりレジャーランド化し、金の無い学生は勉強のチャンスさえ与えられていないのが実態である。 そして、高卒と大卒の給料のギャップは埋まらない。宝くじでも当選しない限り、「貧乏の連鎖」が永久に存在する。 そうした事へのアンチテーゼとしての意味で義務教育に期待したい。 本来、全て教育を受けるのは権利であり義務であるべきだ。貧富の差のないよう大学も含め無償であるべきはず。 もっと、現実的な話をすると、学校教育だけでは無理で殆どの子供が塾に通っている。私の子供の頃は小中学校で塾に通っているのはクラスで一番優秀で東大を目標としているごくわずかな人種だけだった。 それが今や、進路相談も中学ではなく塾のそれの方がよっぽど信頼性が高く、中学教師も塾に任せている感がある。 人格形成の前に考えるべき課題と思う。いくら小学校で人格形成がなされたとしても、流石に中卒で社会に出て仕事を見つけ生活するのは極めて困難である。 結婚や子供を持ち、家や車を所有するには、それ相応の経済カが必要である。 基準を何に置くか?価値観は人それぞれなのは確かだ。「一般的サラリーマン家庭」という言葉もあまり良い例えではない。 そもそも「一般的」とは何か? 小学校の頃から将来は実家の店(小さなあまり儲かってない店)を継ぐ運命にある子供はどう受けとめるのか? 人格教育を受け持つ小学校の教師の給料も大学教授と比較したら安い。 そもそも人格者たる教師が果たしてどれだけいるか?ということだ!安月給のボランティア精神に満ち溢れた人格者?!どこにいる?