昔の作品だからか いないを ないと言う文章に少し違和感を覚えました
お父様の機嫌の悪いときこれだけ理路整然と答えられるお母様強い。このようにきちんと、生きていれば怖いものなし。男だから、とか、女だらとの壁は、すでに超えられているじゃないですか。今の女性もこのくらい自分の働き方をおっとには、ばなしてみましょう。こどもたち、ままは泣いていないよ、安心してね
お母さんがお父さんにいじめられているのが年ちゃんと同様可哀想と思います。
小川未明さんの作品を読むのは3作目。 今回は動物が出てこなかった。すんなりしゃべる小川未明作品の動物はヤバい。すこし古いがラッスンゴレライ的に、 あったら、へんなの、と思うのに、無いと、え、なんで無いの? と、欲しがり屋にさせる素質があると思う。 今回ははじめての親孝行の話だろうか。母を想い、会いに放課後直帰する。 坊やの想像は当たってるのかどうなのか。ジョーク上手のお母さんに、すぐに心配心を散らされて、また遊びに駆けていく坊やは、とりあえず爽快で、なんだか、どことなく、眩しく思えてしまう。 自分は青春というものが全く無かった奴だから、青春モノを読んでも、ほうほう、なるほど。これこれそういった過程を経てで恋をしたり友情を育んだりしたわけか。と、どこか生物の教科書を読んでいるのと同じ気分になる。ちゃんと面白いのだが、自分のものではないのだ。 しかしこの話は、昔こんなことあったのかもしれないなぁ、と思わせる。ささやかな心配で心を陰らせて、誰かの一言であっさり雲を散らして遊びに駆けていく。 小学生のとき、友達と喧嘩して、この世の終わりみたいに凹んでいた自分が懐かしい。今では悩みもしない。縁は合わなくなったら切るものとしている。 こうやって今悩んでいることも、数年後にはサッパリ悩みにさえなってないことを、憂いたり、センチメンタルになる必要はないのだ。 強く(鈍感に?)なれる可能性が無限大にあると思えると、自分をもっとアホにして、なんでもやってしまえばいいじゃないか、と思えるから。