「寺町」の感想
寺町
てらまち

岩本素白

分量:約6
書き出し:樹の多い山の手の初夏の景色ほど美しいものはない。始めは樹々の若芽が、黒々とした枝の上に緑の点を打って、遠く見ると匂いやかに煙って居るが、その細かい点が日ごとに大きくなって、やがて一|刷毛《はけ》、黄の勝った一団の緑となるまで、日々微妙な変化を示しながら、色の深さを増して行くのは、朝晩眺め尽しても飽きない景色である。五月の日に光るかなめの若葉、柿の若葉。読我書屋の狭い庭から、段々遠い林に眼をやって、...
更新日: 2022/04/05
cdd6f53e9284さんの感想

徐々に寒さも和らぎ、木々の葉が芽吹く季節を迎える頃になると、岩本素白の「寺町」の冒頭の文章を読み返したくなる。 胸底深くに染み入るような、こよなく美しい一節だ。 いままで幾度も慣れ親しんできた文章なので、なんだか「そら」でも言えそうな気もするが、もちろん、そんなことは到底無理な話だ、 ただ、この一節を口の中で何度も唱えていれば、自分も名文家になれそうな気がしてくるから不思議だ。 迷妄のなせる信仰のようなものだが、それほどの名文ということだろう。 筆写する楽しみをしばし味わうことを、どうか許されい。 《樹の多い山の手の初夏の景色ほど美しいものはない。 始めは木々の若芽が、黒々とした枝の上に緑の点を打って、遠く見ると匂いやかに煙っているが、その細かい点が日ごとに大きくなって、やがて一刷毛、黄の勝った一団の緑となるまで、日々微妙な変化を示しながら、色の深さを増して行くのは、朝晩眺め尽くしても飽きない景色である。》 しかし、最初の一節が美しいのなら、最後の一行だって挙げなければカタテオチというもの、なので、あえて掲げさせていただこう。 《花に明ける春の巷、柳ちる夕暮れの秋の町、三味線を抱えた意気な姿は、今もなおその時代の物を書く画家や文人に使われているが、山の手の隅々には、昔こういう人々の住んでいた所が相応にあるようで、私の散歩の折の空想も、折々はこういう方にも飛ぶのである。》 どうだ、という満足な気持ちに満たされる、 ふむふむ、すこぶる良い。 良いのだが、しかし、自分が、この岩本素白の「寺町」に惹かれるのは、なにも冒頭と最後の部分ばかりではない。 文の中ほどに、「葬い駕籠」の絶妙な描写が、また良しなのだ。 こんな感じだ。 《そういう町を、五月の晴れた朝ぶらぶら歩いていると、その低い谷底の本堂の前に、粗末な一挺の葬い駕籠が着いている。 門前に足を止めて見下ろすと、勿論会葬者などの群れはなくて、ただその駕籠を担いできたらしい二三の人足の影が見えるばかりである。 東京では、このごろ駕籠の葬式というものは殆ど見掛けなくなっている。 駕籠の中の棺の上に、白無垢や浅黄無垢を懸け、ほんの僅かの人々に送られて、静かに山の手の寺町を行く葬式を見るばかり寂しいものはないが、これこそ真に死というものの、寂しさ静けさを見る気持がして、色々の意味から余りに華やかになりすぎた今の葬儀を見るよりは、はるかに気持ちの良いものである。 私は暫くこの門前に散歩の足を止めて、この景色を眺めていた。》 この一節に導かれるように素白は、尾崎紅葉が自分の葬儀に葬い駕籠を用いるように遺言したという事実を思い出す。 《潔癖、意地、凝り、渋み、そういう江戸の伝統を伝えたという此の人の、これが最後の注文の一つであったかとおもったのは、私もまだ年の行かない頃のことであったが、今はからずもそれを思い出したのである。》 この簡潔な一文だけで、尾崎紅葉という人物像が明確に浮かび上がる傑出した文章だ。 ついでと言ってはなんだが、巌谷大四の「物語明治文壇外史」に、死期を悟った紅葉が、家族と門下生を枕元に呼んで遺言を述べる場面がある。話し言葉そのままなので、リアルこのうえない。 《棺を担ぐということは、どうも格好が悪いから、わしのは駕籠にしてくれ。そして四隅に白い蓮花を挿して······。また、配りものはわしは先から嫌いだから、あの銀座四丁目に菊の屋という菓子屋がある。そこに注文して米饅頭を拵えさせ······尤も赤青白の三色で餡は勿論つぶしに限るよ。そうさ折も気取ったのは面白くないから、なるべく気取らないように······》 臨終の間際になっても、葬式饅頭の餡の心配をしていた紅葉であったのである。