オスカー·ワイルドの「幸福の王子」は、とても分かりやすく物語だ。 確かに、人が、物語に感銘を受けるためには、分かりやすさはとても大切なことだ。 ツバメは、南の国に帰らなければならない寒い冬を間近にしながら、宝石で飾られた王子像のたっての願いで、飢え凍えて苦しんでいる貧しい人々を一人でも救いたい、だから手助けしてほしいという願いを断りきれずに、王子の像に埋め込まれている宝石をひとつひとつ貧しい人に届けているあいだに、南へ帰る時期を逸してしまい、ついに、ツバメは凍えて死んでしまうという物語。 その結果、ただの薄汚ない金属の塊に成り果てた王子の像は、人々から忌み嫌われて溶かされてしまう。 確か、死骸となったツバメは、その後で天国に召されたとかなんとかあったかもしれないが、そんなことくらいでは、到底、この惨憺たる物語は、収拾できるもんじゃないと、まだ子供だった自分は思ったことだろう。 人への善意の報いがそんなことなら、「善意って、いったいなんなんだ」と、子供心にも相当なショックだったに違いない。 しかし、逆にいえば、分かりやすかったから、ちゃんとしたショックを、しかも、ちゃんと受けることができたともいえる。 さて、ではこの小川未明の童話「寒い日のこと」は、果たして、迷える現代の子供たちに、ちゃんとしたショックを、ちゃんと与えることができるだろうか。 冬の花の間抜けな山茶花も、気まぐれで無責任なお嬢さんも、そもそもトンボ自体、あんた、ちゃんと死んだのか、とワタシは言いたい。おわり