自然描写がとても繊細で、一つ一つの表現がとても綺麗なのでこのお話は定期的に見ようと思います。
田んぼの小道で死神に行き合い、驚愕した男は逃げに逃げて停車場にたどり着くと、そこにもまた魚の目を持った老婆が待ち受けている、またも死神だ。 ああ、なるほど、あれだな。 小泉八雲の「むじな」だ、真っ暗な寂しい夜道で爺さんに出会い、うつ向いていた顔を上げるとそれがのっぺらぼう、ぎゃあああ~! と絶叫し、恐怖で暗闇の中を夢中で駆け出して、やっと遠方に灯りが見えた、 やれ助かったと、後ろ姿の老婆に「今そこで大変なものを見てきたんだ」と訴えると、振り向いて「あんたが見たのは、こんな顔だったかい」と、そこにもまたさっきと同じのっぺらぼうで、ぎゃあああ~!! という恐怖体験、読者を救いのない暗黒の果てしない無限地獄に突き落とす小泉八雲のシチュエーションの方がはるかに恐いのは、「神の存在」が、いささかも感じられないからだろう。 この小川未明の物語の神が、取引き可能な「情実」を有した打算的な存在として描かれているところが西洋風の印象を与え、ことさらに恐怖を薄めてしまったのかもしれない。